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生い立ち、そして島流しまで

実父(先代当主)は満州からの引き揚げ人で山口の出身である。
しかしながら1960年代後半に入り諸般の事情があって上京してきて印刷関連の仕事をしていた。
それが市川市出身の実母との間に出生したのが筆者である。
しかしながらいたってまっとうな考え方の実父と奔放で身勝手な母親がウマが合おうはずもなく、軋轢の間で揉まれる厳しい幼少時代であった。
また、実母は極めて過保護でありそれでいて気に入らないことがあると暑中のように家から追い出すなどしていた。
また、過保護のせいで身体能力が若干であるが周りより劣るようになった。
スポーツの類は、させてもらえなかった。

実母は私が一個の人間であるという感覚が全くなく、まるで自分の所有物のように考えていた、そういうことである。
また、この母親はいわゆる「モラ親」であり、心理的にマイナスになるようなことばかり吹き込んでいたのである。
そのせいで筆者は幼少期にいい思い出もなかった。

1979年頃から、得体の知れない感覚や視覚に襲われるようになり、またその頃から発言が少しずつおかしくなっていたようであった。
今にしてみれば、それは今日まで長きに亘るガスライティング、そして精神域介入犯罪の濫觴だったのである。

突然の、いわれのない集中攻撃

そんな情勢だった81年頃、突然筆者は集中攻撃の対象にされる事となった。
また、テクノロジー犯罪の技術のよって心理操作され、行動や発言をコントロールされたことによるレッテル貼り、印象操作をやられたのである。
それは紛れもないガスライティング、集団ストーカーである。
筆者は、何の理由もなくその標的にされ、またそのためにテクノロジー犯罪というものを使って心を操作されるようになっていたのである。
子供が?などと高をくくってはいけない。

この頃になると長らく住んでいた当時のアパートを出て、近くの別のアパートに移り住む。
両親は離婚して、父は線路を挟んだ地区の別のアパートに移り住んでいたが交流はあった。
この離婚も、すべては実母が一方的に原因を作ったが故だった。
それ以降に起こったこともすべて実母の暴走が原因で起こったともいえる。
実母は、自分の浪費のツケを子供に押しつけるのが常態化しており、そのせいで随分と不憫な思いを強いられていた。
なお、実母は83年頃(推定)に創価学会に入っていた。
よって、御授戒を現在の法道院で受けている。
この頃には創価学会はすでに池田教になりかかっており、当初からおかしかったのだ。
しかしながら家には仏壇があり、第67世日顕上人(1979年御登座)の本尊が入仏されていた。

なお、一家が創価学会に入っても電磁波犯罪はそれとは関係なく行われていた。
この事から、創価に寝返ったとしても電磁波犯罪が解決するものでは決してない旨警告しておく。

中学に入る頃になると、筆者に対する集中攻撃は状態か更に悪質化の一途を辿り、いわれのない屈辱を何度も味わわされる、そんな日々が続いた。

そんな中で、仲が良かったのは主に部活動で同じ部に所属していた先輩方だった。
そして、一学年上の女子生徒と事実上の交際関係にあった。(これは、訳ありだった。後述する)
しかしながら、実母がその引き離し(部活動からの引き離しも)を画策していた。
交際関係と部活動が実母にとっては非常に面白くなかったのである。
そこで、既に創価員であった実母が学会の者に相談を成し、そこから手が回って某離島のブルジョア一家が手を差し延べてきた―
これが実情である。

この頃になると、各種の心理操作が深度化し、訳のわからない言葉が常に頭の中を駆け巡ることが常態化していた。
それらがテクノロジー(電磁波)犯罪のせいだったというのは最近になってようやく判明したことである。
当時はほとんど知られていなかったが、これは「心を操る」という「最高の秘儀」であり、どんなに賢い人間でも心を操ってしまえばどうにでもなってしまうのである。

突然の移住話

84年9月のことであった。
実母からのとんでもない言葉が耳を突いた。
それは、ある離島に移住するというものだった。
この頃、既に集スト、テクノロジー犯罪の魔の手にかかって久しかった筆者であったが、必死に抗議したものの一方的に却下された。
敵の魔の手によって発言をコントロールされ、説得を妨げられたのである。
裏を返せば、この移住話が敵にとってそれだけ都合の良い、いわば「旨味のある」話であったということである。
後述の虚偽交際終了を差し引いてもだ。
そして、父を残してとある離島に移住することとなった。

島流しを画策したブルジョア家の当主は自民党員だった。自民党はこの頃既に公明党・創価学会と手を組んでいたので、そのルートを介して話が行った可能性がある。また実母が創価学会に入ったことが問題を大きくしたといえるが、現在では推測にしかならない。
また、このブルジョア家当主が実父と対立関係にあり、その怨恨が根底にあって一家を破滅させることを企んだと云われている。
このブルジョア家の策謀と敵一味の所業は別個のものであるが、簡潔に言えばそれはブルジョア家の策謀に敵が「乗っかった」ものであるというのが今日の公式見解である。

最近わかった虚偽交際

件の女子生徒は創価学会員であった。そして、件の交際も、訳ありだったのだ。
そして最近、新たな史実が判明した。
それは、
・この女子生徒は、他にも近所のクリーニング店(現存せず)の同級生(筆者から見て1学年上)の男子生徒と親しかったこと。
・島に流されてから一度の連絡もしてこないこと。
・従って、ガスライティングの一手法である「天使と悪魔」の天使役に過ぎなかったといえること。
とどのつまり、相手の女には最初からその気など無かった、というのが窮極の結論になる。
従って、不当交際行為(二股交際)とガスライティング違反の疑い濃厚と断定するに至っている。
このため、当該の女は離れてから30年近く経った2013年8月7日を一期に永久破門とし、交際履歴からも除歴する厳しい処断に踏み切っている。

もうひとつ。
筆者が本当に好きだったのは、別の先輩だったということ。これは、最近ようやく気付いたことだ。
つまり、それでは敵にとって気に食わないのでスリカエた、ということである。
恐らく、その理由は「その人が学会員ではなかったから」であったと推定する。
テクノロジーによる心理操作には、あらゆるものをすり替える恐ろしい魔力がある。

そして、流刑の地へ

1984年9月17日頃、筆者一家は父を本土に残して船で島に渡ったのである。
件の島は、東京港から約120キロはなれた伊豆諸島の島のひとつである。
それまで、都会で生まれ育ち都会に慣れ親しんだ者にしてみれば、そこは絶海の孤島同然の場所であったのは云うまでもない。
なお、島流し期間中にこの島で激甚災害があり全島避難を経験しているが、回顧録にはあまり関係ない話であり本回顧録では取り上げない。

それまでの縁は、ことごとく引き裂かれた。
以後、何の交流もなく手紙も電話もない。
それにしても冷たいものである。

そして、その島では、豊かな自然からは想像だにできないほど凄惨な集スト、ガスライティングが待っていた。