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島流しの日々 中編

洗脳禍

島流し時代の頃になると、未だ見ぬ敵によるマインドコントロールが深化し、様々なものが刷り込まれた。
それらは後々まで筆者を意図的にミスリードし続け、人格破壊工作を行うための布石となるべくなされたものであった。
この頃、敵は某インチキロックバンド「A」への誘導と、付随してあらぬ夢の類が刷り込まれた。
また、前稿にもある通り、島から抜け出すことを考えさせないように思考が押さえ込まれていた。
既に実母はこの島に骨を埋めるつもりでいたようだが、それもマインドコントロールとブルジョア一家当主の誘導である。しかも、この時点でブルジョア一家当主もその黒幕たる学会組織も実母をどう片付けるかということは織り込み済みだったようである。
更に、一家の中で筆者だけが攻撃の標的とされていて、後々離間工作、一家離散に持ち込もうとしていたことが明らかである。

島から抜け出せないこと(島に閉じ込められていること)に乗じてマインドコントロールを容易にし、更に後の帰還後のことを考え総ての責任を島流し時代に押し付けさせて当のてめえらはのうのうと逃げおおそうとしたしたのである。実際何の所為にして逃げおおすか(これは後々明かす)ということも、この時点で既に決定済みであったと推定する。
しかして、筆者のみならず周囲は皆マインドコントロールの影響下であり、しかも筆者をターゲットにして各種の嫌がらせなどをさせるよう敵は仕向けていたのである。

高校進学

前稿の通り、筆者は1986年春に島で最大の集落にほど近い高校の全日制普通科に志願し、合格した。
3月を以って地元中学を卒業し、しかしてここで多くの徒輩とはお別れとなった。

しかしながら、この進学は敵の都合に触れるものであった。
この時の敵の意向とは、そのまま狭いエリアの中に閉じ込めてガスライティングを継続し(継続させ)、そのまま一気に痛めつけてしまおうというものだった。
他方、進学の決まった高校は、集落からバスで40分以上かかる島の中心的エリアに所在していた。
このため実母は家に近いほうの高校の海洋科を希望していたのであるが筆者はこれを断固として突っぱねた。
まさか実母の意向を突っぱねるとは思わなかったのであろう。
云うまでも無く、この実母の意向とやらも敵側組織が裏で指示していたことによる「押し付け」である。
このため、敵は止むを得ず現状に合わせた作戦に変更を余儀なくされたものと推定する。
中学で行ったのと同じ印象操作が、またしても敵によって行われることとなったのである。

1986年4月、筆者は先述通りの高校に進学を果たした。
しかしながら新たな出会いに特別期待をしていなかったことを今でも覚えている。
むしろ警戒感すら抱いていたというのが本当のところである。
それは、筆者の中に
「所詮、島は島だ」
という考えがあったことによる。
ある程度大きな島であったとはいえ、クルマなら2時間と掛からずに島内を一周することができる。
島流し以前の居住地は、仮にも首都・東京の一地域であった。
そこから比べれば、本当に規模の小さい町である。
しかも、絶海の孤島だ。

本音を云えば、東京に戻りたかった。
東京に戻って、東京で高校に通いたかった。
しかし、それは実母が許さなかった。

進学してからほどなく、敵による人格破壊策動が始まったのである。
それは、以前と同じようにして印象操作によるレッテルを貼ることで筆者を「叩く対象」に仕立て上げるものであった。

筆者の居住していた島南部の集落からは、筆者以外にも十名ほどが件の高校に進んでいた。
そのうちの数名が、筆者に対する実質的な工作員に仕立て上げられたのであった。

当時、テクノロジー犯罪や精神域介入など殆ど知られておらず、ガスライティングを知る一般人もほとんどなく、ごく一握りの悪魔どものみが知る範疇であった。
なお、ガスライティングの方法が書かれた書物が出たのが1994年のことであった。
これらの手法は今日では広く知れ渡っており、当時のようにうまくはいかない。

筆者が在籍したクラスに一人の女子生徒がいた。
この女子生徒が、初期に少し筆者に興味があったようであった。
しかし、他の女子生徒に呼び出されて以降鳴りをひそめてしまった。
脅しをかけられたのだ。
これ移行、この女子生徒を巡る軋轢が始まり、後を追うように中学で遭ったのと同じような集中攻撃の標的となった。
一見他の二名が一緒に攻撃を受けていたように見えたかも知れぬが、この二名は工作員であり、芝居役であった。
こうして、筆者は再びガスライティング禍に放り込まれることとなった。

人格破壊工作

人格破壊に先立って某ロックバンドの刷り込みがあったことは先述したが、このロックバンドは1970年代にフォークグループとして登場し、その後ロックに路線変更した三人組「A」である。首魁のT.Tはもう60にならんとしているが、当時はまだ30そこそこの3人であった。
敵がこの「A」をねじ込むことにしたのは、隔離された絶海の孤島という環境を利用して歪んだ思考を刷り込み、以って人格に変容をきたし、精神を蝕むことによって人物破壊を完成させてしまうためである。
しかし、当時テクノロジー犯罪もガスライティングもあまり一般には知られておらず、これが筆者の精神をむしばむことを目的に押し付けられたものであるとはだれも思わなかったのも無理はない。
しかして、この高校でもガスライティングの渦中に巻き込まれることとなった。
ここからが敵の人格破壊工作の舞台である。
それは、攻撃を受けたところに激しい負の感情のマインドコントロールを行い、自分のことを棚に上げさせて暴力的反撃をさせてそれを更に叩かせる、というものでそれを繰り返すことでますますおかしくなるように仕向けられたものである。
当時の筆者は、敵の精神域介入でだいぶおかしくなっていた。
以後、人格破壊工作は20年以上手を変え品を変え行われることとなる。

アイドルへの誘導

先の女子生徒の一件があってから、筆者はあらぬ方向に誘導されることとなった。
80年代はアイドル全盛期といわれたほどアイドルが力を持っていた。
Y.Mに続いて誘導されたのが、今大いに問題になっているR.Hである。
このアイドルへの誘導は、異性交際に強い警戒感を持っていて、しかも創価学会の言いなりであった実母の意向が少なからず絡んでいたと思われる。
実母の意向は、イコール敵の意向でもあったので、孤立化の奸計はこの当時から既に実行に移されていたのである。
こうして、筆者は完全に異性交際から引き離されてしまったのである。
云うまでもなく、アイドルというのは男女間を分断するためのシステムである。
当時は都会から遠く隔離された絶海の孤島であり、しかもインターネットも一般にはほぼ開放されていなかった中で、メディアから逃れる方法は無かった。

実母は、筆者に「東大に行け」などとけしかけていた。
そのくせ、そのために何か支援をしてくれたわけでもない。
むしろ、子供にはあまりお金をかけないようにしていたのが本当のところである。
また、人生を生きる上で大切なことを何か教えてくれたわけでもない。
しかもこの母親は、「モラ親」であり独裁者であった。
だから、愚痴を言うことも抗議することも許されず、いつも笑って機嫌良く、愛想良く、疲れた顔も不満も見せてはいけなかったのだ。ひどいことをされても、つらくても、そう伝えてはいけなかったのだ。
早い話が、モラ親相手に「接客業」をさせられていたようなものであった。
この支離滅裂さ加減に兄弟は散々振り回されていた。
ここでも敵が暗躍する。
筆者にはあまり勉強をさせないように、勉強など手に付かぬようにマインドコントロールによって仕向けていたのだ。
これで巧くいこうはずがない。
総ては敵の意向一つ、敵の思うが儘であったのだ。

部活脱退時の騒動

確か二年生(たぶん二学期)の時であったと思う。
当時所属していた部活動を実母の意向で辞めさせられたのである。
実母の意向ではあったが、このモラ親は学会の言いなりだったので学会組織の意向だったことになる。
その時にも敵が暗躍する。
敵は筆者をあらぬ行動に走らせ、孤立化が決定的となってしまったのである。
早い話が、この件は孤立化のために敵側組織が仕組んだ罠だったのである。
この状態は高校卒業まで続くことになる。

敵がこの時代から用い始めたのは、負の感情のマインドコントロールと双方向に亘る印象操作、そして思考のスリカエであった。
これらによっていよいよ敵は筆者を意のままにミスリードし、果てしなき負のスパイラルに嵌めたのである。
双方向に亘る印象操作とは、他者に対する筆者の印象を操作するものと、筆者に対する他者の印象を操作するものとの二つの印象操作である。
前者は筆者の嗜好や行動、言動をコントロールすることによって行われ、後者は思考のスリカエと負の感情のマインドコントロールによって行われていたのであり、この手口は今日まで何ら変わっていない。

この頃になると筆者に対する印象操作はほぼ完成されており、「おかしな人間」「変な奴」との悪評が固まってしまっていた。
こんな状態で新たな縁などあるはずもなく、島を抜け出すことも叶わず、失意に沈む毎日でこんな状態でやる気など起きよう筈も無かった。
まさしくガスライティングであり、人格破壊工作であるということである。