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島流しの日々 後編

部活動の件があってから、高校に筆者の味方はいなくなった。
そして毎日が同じ繰り返し。
あるのは対立と軋轢だけになっていた。
こうして徒に時は過ぎていき、高校三年の夏になっていた。
生きる目的もなく、ただ時が過ぎてゆくのみであった。

アイドルの粛清と音楽に関する動向

1988年7月、東京・目黒で衝撃的な事件が起きた。
当時14歳の少年が、両親と祖母を殺害したのである。
この[当時]少年が、アイドルY.Mのファンであったことから、アイドルが問題視されることとなり、アイドルからの脱却が図られた。
アイドルは粛清される事となり、後述の復員後に関係する物は全て売り払った。
売却が復員後になったのは、島にはそれを出来るところが無かったからである。
取って代わるように、まともな女性歌手の音楽が初めて自らの手で導入された。
その後、継続的に導入が続けられ、アイドルに取って代わった。
今日の音楽政策を決定付けたといって過言でない、一大決断であった。
この粛清と転換は、敵の激しい恨みを買う事となった。
そして、手薬煉を引いてその転覆を図るようになるのである。

導入された中に、まがい物が混じりこんでいた。
Y.Tである。
あれはいわば女子大生アイドルとでもいうべき存在であった。今にしてみれば。
アイドル粛清に激しく色をなした敵が、導入の過程で誘導して紛れ込ませたのである。
もちろん、この時点で筆者は敵の正体はおろかその存在すら知らない。

恐るべき謗法の因果

8月10日頃、実母は突然倒れてヘリで東京の病院に搬送された。
病名は、くも膜下出血であった。
そして、治療の甲斐なく8月21日にそのまま横死してしまったのである。
実母は島流しにいとも簡単に応じて一家を今日まで不幸に陥れた張本人の一人であり、一家を悪魔に売り渡した人間である。
享年わずかに42歳、悪事加担の恐ろしい因果は厳然と現れたのである。

ここで、実母を島に呼んだブルジョア一家当主らが本性を露わにする。
この当主は、一家に何の断りもなく他の邪宗教で葬儀を強行しておいてやってやったみたいな物言いをしたのである。
自分で原因を作っておいてこの言い方である。
これこそメサイアコンプレックスそのものである。
更に、当主は、筆者に進学の断念を強要したのである。
不満は、口巧みに丸め込まれた。
その一方で、(元)妹には進学の道を残すという極めて卑劣なやり方をしたのである。
一家分断への暗黒のレールを、この時点で敵は敷き始めていたのだ。
この策動は、一家のその後に深く暗い影を落とすこととなった。
なお、いずれ明かすがその後にも進学への道を完全に断ち切るための汚い策動があったことを記しておく。

実母が横死した後、兄妹3人はブルジョア一家の敷地内の離れに強制的に住まわされる事となった。
この離れで、高校卒業までの半年を過ごすこととなった。
実母が死んだ時点で、島を離れて東京に復員するというやり方もあった。
編入学は、さほど難しいことではなかった。
しかし、その方途は押し止められ、島に残留することを強要されたのだ。
たかが半年のために。
この高が半年を島で過ごさせることは、筆者の人生を狂わせる上で大きな意味があった。
それは、一に進路を狂わせること。
二には、同級生の存在である。
ここで同級生と離別されてしまっては、後の策動に島流しのあった事が一切使えなくなってしまうからである。
そのキーマンは二人。
一人は「友だち」役を演じていた工作員の男であり、もう一人は件の女子生徒である。
卒業までともに過ごさせることで、このキーマン二人を後々まで利用できるようにするという魂胆であったのだ。
たかが半年を島で過ごさせる為に、ブルジョア当主は狡猾で汚い物言いをしたのである。
「卒業させる為だ」と。
尤もらしく、しかしどこまでも悪意の詰まった汚い物言いである。
そこまでしてもこの時点で東京に復員させたくない理由が、敵一味の側に存したということになる。

目に見えぬ敵は、筆者の就職にまで介入してきた。
こともあろうか、筆者を運送会社に誘導する企みを押し付けてきたのである。
これも、ブルジョア家の策謀に敵がうまいこと乗っかったものであったと云える。
このことが、筆者の人生を暗いものへと決定づけてしまったのであった。
テクノロジー犯罪への強い恨みが消えることは終生あり得ない。
そして、このことが島への恨みを徒に募らせ、敵の意向通りにすべてを島に押し付けて終わりにしてしまおうという動きにつながった。
もちろん、島に誘導されたこと自体がブルジョア家の謀略であり、島に対する敵愾心というものはある。
しかし、それと敵の謀略は別個のものである。
別個のものではあるが、このブルジョア家当主は敵側組織に協力していたものと思われ、敵が裏で組織的に手を引いていた可能性は高い。
そこを誤魔化す為に、敵は全てを島になすりつけようと企んだのである。

学会からの脱退について

結局、学会は成り行きで脱退となった。
それも敵の意向通りである。
電磁波犯罪のターゲットである筆者に学会にいられては困るということなのであろう。
筆者は、学会は日蓮正宗の外護団体と教えられており、日蓮大聖人の仏法を行ずる団体であると信じて疑わなかった。
しかし、当時18歳の少年にブルジョア家当主と闘う力があるはずもなく、結局離れることとなったのである。
なお、御本尊は実母の死後、ブルジョア家の離れに移された直後に行方が分からなくなってしまった。
恐らく、当主が密かに持ち出してしまったのであろう。
しかしながら、この当時学会はすでに池田教と成り果ててしまっていたのが本当のところである。
いずれにしても、池田教と成り果てていた学会にとって筆者のごとくまともな考え方をしていた人間は邪魔であったのだろう。

本土復員

卒業が決まり、予定通りに島を離れることが決まった。
そして筆者は卒業式に臨んだ。1989年3月10日のことである。
筆者は、とにかく早く終わってほしかったと思っていた。

1989年3月12日、筆者は港にいた。
筆者を見送る者は無かった。
ただ一人を除いては。
その一人が当時交友関係にあった者ではないことは書いておく。
筆者は、その者(問題の女子生徒)に島を出る日取りなど教えてもいなかった。
おそらく他の同級生から聞きつけて桟橋にやってきたのであろうか。
そして、その日を一期に一家は島を離れた。

ともかく、待ちに待った本土復員であった。
翌日から東京での暮らしが始まった。
筆者は、就職が決まっていた。
こうして島流しの日々は終わったのであった。

島流しの日々は、歴史には残してはいけない4年半であった。
そして、この島流しがあった事が、後の筆者一家の者全ての人生を大きく狂わせる大きな原因となっていったのであり、敵もそれを意図して島に誘導したのである。