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新宿事変と離反、断絶そして裏切り

時は1992年になっていた。
結局筆者は復員以来わずか3年の間に4つの職業を転々とすることとなっていた。
そのうちの一つはあくまで臨時であり、つなぎではある。
しかし、宅配便のアルバイトは当時としては長く続いていたほうであった。

1990年秋に宅配便のアルバイトとなって、2年目のシーズンに入っていた。
前年秋に学会が日蓮正宗より破門され、正法とは無関係の団体となっていたがこの時すでに学会を離れてから年月が経過しており、知る由もなかった。

新宿事変

1992年に入り、高校のクラス会が企画され、参加させられることとなった。
恐らく同年2月11日のことであったと記憶している。
このクラス会に、渦中の元女子生徒がやってきたのだ。
この女子生徒が、その気もないのにやおら筆者の下に寄って来て話しかけてきたのである。
しかも話は長々と続いたのである。
これは、筆者にとって想定外であった。
しかし、この女子生徒は一次会だけで帰ってしまった。
今書けることは、これで精いっぱいである。
いったい何のつもりだったのか。
いずれにしてもこの元女子生徒、筆者と交際する気などは毛頭なかったのである。
そのくせしてみだりに筆者に近づいてくるというのはあり得ない話である。
しかし、敵はここで印象操作を行いその不審さを掻き消し筆者を幻想の罠にはめてしまったのである。
これを新宿事変という。

この一件は、敵に大いに利用されることとなり、人的ガスライティングのネタにもなっていた。
当時筆者の側近とされていた男が、実はグルだったのであった。(但し学会員ではなかった)

なお、新宿事変に対して一度は処分を行ったが現在は撤回されている。
それは、この処分理由が敵による捏造であった(事変は理由の一部にすぎなかった)ことによる。
敵がその所業すべてを他に押し付けて逃げおおすために大嘘を刷り込んだことによる誤粛清であることが判明したので取り消したということである。
だが、あらぬ誑惑であったことに違いは無く、この撤回の是非が問われている。
しかし、いずれにしてもその関係の復活は今後あり得ないという見解であり、島人そのものが排除対象であることもあって、この件に対する対応は後回しになっている。
新宿事変から既に22年が経つが、この女子生徒を含めた女子全員はこれ以後一度も訪ねてくることは無くまた連絡も一切ない。

迷走と引き裂き

新宿での出来事があって以後、筆者は戻らない、そして手ごたえの無い関係を散々と追わされることになる。
これも元「友だち」役の男の策謀がボディーブローのように効いていたことが大きく影響したものである。
追わされても何も変わらない虚しさが、やがて敵愾心に代わるのにさほど時間はかからなかった。
これは、敵があるものにそのすべての責任を押し付けててめえらは逃げおおそうとしたために仕組まれた、大掛かりなトリックの端緒となったものであった。
そして、これがためにブルジョア一家の策謀に乗っかかり、当主をもさらに残忍な方向に仕向けて最後の半年を島で過ごさせるように仕向けたのである。

しかし、件の「友だち」役の男がグルであったことが判るまでにはまだ相当の時間がかかることになる。
ここで、敵は「筆者が自分の意志で導入した」歌手らの粛清に乗り出したのだ。
利用されたのは、本来一般の私たちには何ら関係の無い交際関係のゴシップであった。
人の交際関係にまでケチを付けさせたのは、過度に神経を尖らせて筆者がささやかな幸せをつかむことの無いようにという奸計に資するためでもあった。
当時敵のやり口を知らなかった筆者は、いとも簡単に敵にしてやられてしまいそれらを手放してしまったのである。
勿論、後に粛清されることになるロックバンド「A」に手をかけることは敵が許さなかった。「A」こそが敵の意向だったからである。
なお、ブルジョア家の当主が島流し末期に「A」なんて止めてしまえよといったが、これは敵の都合に真っ向から逆らうものであったためとこの当主に対する憎悪から反発させられ、止めることは許されなかったという一件があったことを記しておく。

島人との断絶

しばらく後、筆者は島での関係を断絶することを思いつく。
まず翌1993年、再びクラス会の話が来たが筆者はこれを断ることにした。
以後、名簿に住所を載せないようにして、完全断絶の布石を打った。
以後、島の人間とは疎遠になってゆく。
「友だち」役の男に対しても、ここに至り漸く疑問を呈するようになった。
この頃から言い争いが頻発し、或ることをきっかけに交友関係を完全に清算し、島人とは完全に断絶した。
ちなみに復員後島に渡ったのは一度だけで、それ以後は一切島には渡ってない。
一家においては今日まで島への渡島を禁止しており、今後も解除することは予定していない。

職業の動向

比較的安定して続いているかに見えた宅配便の仕事であったが、当時の商習慣が原因で(商習慣と客の意向の行き違いであったが、背後に敵の根回しがあった)のクレームがあってから状況が悪化し始めた。
クレーム自体はそんなに大騒ぎするようなものではなかったが、敵はこれに乗じてそれまでに無い強烈な負の感情のマインドコントロールを行い、考え方を劇的に変えさせられてしまったのである。
宅配会社の人間も実はグルで、それが証拠にマインドコントロールで言わされてしまった言葉に「そうだ、それでいいぞ」などと抜かす始末であった。
なお、この宅配便の運送会社は、現在では某団体と深い関わりがあるといわれている。

やがて、宅配便の仕事にも終わりが見え、筆者は転職することにした。
1993年8月を一期に宅配便を辞め、とあるタクシー会社に就職をした。

瀬戸事件

この就職したタクシー会社の養成で普通二種免許を取得した筆者は、池袋にある(現存せず)営業所に配属されたが、後から一人の女が入ってきた。
この女がとんでもない女で、社内の評判も散々であったがよりによってこういう女に限って筆者に近づいてくる。
しかしながら、、この女が突如筆者を裏切り、これがきっかけで苛烈なガスライティングに遭うこととなった。
この女(瀬戸容疑者)は、営業所の所長(当時)に囲い込まれ、筆者を裏切ったものであった。
テクノロジー犯罪による洗脳の影響も大きく、そのせいで成績を上げてもなお認めてもらえず、いつまでも試雇用のままであった。
これは、先述の所長による策略であり、本採用にする気など毛頭なかったのである。
簡単に言うと、策略にはめて辞めさせるつもりであったということになる。

この頃からしばしば疲れやすくなり、すぐに眠くなってしまい勤務中に眠ってしまうこともしばしばであった。
それは、テクノロジー犯罪による強制睡眠であった。

そんな状態で迎えた1994年7月、筆者は強制睡眠によって前のトラックに突っ込んでしまい重傷を負った。
一歩間違えば殺されるところであったのだ。
相手方はトラックということもあって無事でありトラックも小さいダメージで済んだ。
恐らく、敵はここで筆者を殺害することにしたのだろう。
創価学会の連中は、何のためらいも無く与えられたターゲットを虐げることに血道を上げ、自殺するまで追い詰めて自殺しなければ殺してしまうような腐りきった連中なのである。

筆者は、世田谷の病院に1か月の入院を余儀なくされた。
会社に置いてあった自分のクルマは、父に引き上げてもらった。
退院したのは、確か8月の中旬のことであったと記憶している。
この事故によって、筆者は経済的にも追い詰められ、信用に大きな傷がつくこととなってしまった。
これも、敵の策謀どおりである。

奇跡的に一命をとりとめ、生還した筆者を待っていたのは非情な通告であった。
何度か会社に顔を出していたのだが、8月の末に筆者を待っていたのは不当解雇であった。
こうして筆者は失意のうちにこの会社を去ることとなった。
これら一連の事件を、「瀬戸事件」という。
本件は、敵の根回しによる人的ガスライティングとテクノロジー犯罪の併用によって初めて成り立つ、複合型の事件である。

今でも瀬戸容疑者のことを思い出すと無性に腹立たしく、「後生は地獄だ!!」との念を禁じ得ない。
実は、瀬戸容疑者が雑誌に載ったことがあり、次の会社に在職中にそれを見て非常に腹が立ったのを今も鮮明に覚えている。

戦後処理

1991年の春からこの時まで練馬に住んでいたが、この事件の顛末を契機に板橋の実家に引き上げた。
そして、とりあえず同じ業種の会社に転職することにした。
瀬戸事件をきっかけに、同業者、および年上の女とのとの異性交際を一切禁じ、再発防止策とした。
そして、当面は経済的な立て直しを優先し、生活の引き締めに乗り出した。

瀬戸事件のあと…

瀬戸事件は、筆者に大きな衝撃を与え、女というものに対する不信を決定付けるに十分すぎるものであった。
これ以後、瀬戸事件は新宿事変と同列の「大型交際事犯」と見做されるようになり、両者の名字を取って「S・S」と称され悪の象徴にまで仕立て上げられた。
この頃から、「女どものせいで」という言葉が口を突いて出るようになった。
しかして、それこそが敵の意向であり、敵は全てを「女たちの所為」にして逃げおおすことでテクノロジー犯罪の発覚を妨げることを意図したのである。
しかしながら、瀬戸容疑者は許されざる大悪人であり万死に値するが、女子生徒T.Sについては誑惑は許されざるものであるものの万死に値するとまでは言い難く、明らかに敵の都合で一緒くたにさせられたものであると云える。

いずれにしても、これ以降後に惹起する事件・策略等と相俟って「女性不信」というものが芽生え始め、年を追うごとに増幅してゆくことになるのである。