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悪辣な誘導、風俗地獄へ

1994年に惹起した瀬戸事件は、女性不信に陥るのに十分すぎる衝撃を筆者に与えた。
しかして、この一大事件も精神域介入部隊が裏で暗躍してこその事件であった。
テクノロジー犯罪が判明するまで、この瀬戸事件は人的ガスライティングのみによる事件と久しく思われていた。
実際にそれだけで説明が出来てしまっていたこともあって、疑う余地は少ないと思われていたことが長年に亘って実態の解明を妨げていたのである。
実際には広宣部によって、人的な根回しとBMI犯罪の両方が併用されての人格破壊工作であったのが実態である。

この瀬戸事件と前後して、筆者は島流し時代の人縁を離断したこともあってほぼ完全な孤独状態となっていた。
このことが、却って敵による演出型ハラスメントを殊更にやりやすくしていたのであるとも云える。
特に瀬戸事件によって峻烈な女性不信に陥ったことは、T.Sの件と相俟って「現実のレンアイ」から目を背けさせるように仕向けるのに十分すぎるものであったと云える。
現在に至るまで結婚を果たせていない大きな原因になっていると云える。
いかに忌まわしい島流し時代の人縁と雖も、離断したのは間違いであったとも云える。
T.Sの件は、敵による孤独化策動のために惹き起こされたものであり、離断政策という形で島人との縁を絶ち孤立化をさせるために敵によって利用されたものであるといえ、まさしくマッチポンプ型事犯であると云える。

ラ・チーカ事件

1994年9月。
筆者は、前の職場を不当に追われたのち、実家にほど近い同じ業種の会社に再就職を果たす。
次の事件は、明くる1995年になって惹き起こされた。
その後、懸命の努力で生活を立て直し、さぁこれからという時に再び事件が惹起する。
後に「ラ・チーカ事件」と呼ばれることになる事件である。
この事件では、見知らぬ外国人の女が実行犯であった。
何度断っても腕を放そうともせず、結局店に引きずり込まれてしまったのであった。
しかも、料金が異常に高く、その日だけで蓄えを使い切らされてしまったのであった。
しかも、「もうお金がない。カードもない」といっても延長を迫られる始末であった。
カードは、瀬戸事件の時にNGとなってしまっていた。

件の店は、違法なフィリピンパブであった。
この件は、長らくBMI犯罪によるものと思われていたが、この店側も実はグルだったのではないかというのが最新の見解になる。
何度断ってもしつこく絡んできて、腕を離そうとしない強引な手段はBMI犯罪だけでは説明が付かない。つまり、敵対勢力の根回しが予め成されており、筆者の行動を何らかの手段で追跡していた敵側が、私があの場所に来たことを店側に教えたのではないか。
それで件の女が遣わされて店に引きずり込んだという訳である。

ラ・チーカ事件における実行犯の女は、それまでに例を見ない強引さで筆者を引きずり込み、金を巻き上げていった。
この女もまた、何らかの手段による敵の根回しで手配された工作員だったのである。
当方も断固として突っぱねるつもりでいたのだが、気が付いたら引きずり込まれていた。
敵の連中の脳裏には、恐らく高校進学時の誘導が失敗に終わったことが苦い記憶として残っていたものと推定され、それが力づくで引きずり込むという強引な手口となって現れたものと思われる。

1990年代も半ばになると、精神的にかなり破壊された状態となっていたので、このような手口に対応できなかったのであった。
また、パートナー不在の状況の長期化のみならず、ほぼ孤立した状況となったことも敵にとっては交際事犯をやりやすくなっていたのであろう。
ラ・チーカ事件は、典型的な交際類似行為である。
後の複数の事件でも、この交際事犯型のハラスメントが行われることとなる。

その後もしつこく件の女に絡まれ、何とか振り切るまでに半年以上を要してしまった。
ただお金を使わされるだけだということに気づいて、必死の思いで振り切った。
しかし、敵はそこに落とし穴を用意していたのであった。
振り切ったはいいが、敵対勢力は別の策略を用意していたのであった。

風俗地獄

敵は、筆者がまともに結婚できないようにすることに執念を燃やしていた。
また、この断絶を機に再び復活[大学への進学]を再び目指すような事態だけは何としても避けたかったに違いない。
そのために用意した誘導先が、風俗地獄であった。
この誘導は、風俗というものに興味を向けさせて情報誌を何度も繰り返し読ませて(手に取らせて)刷り込むという、後年の機材破壊策動でも用いられた手口が使われている。
そして筆者は池袋にある、ある個室付浴場へ誘導されたのであった。
だが、この時はうまく機能せず、もうやめようと思ったものだ。

しかし、それでは困る精神域介入部隊は、これでもかというくらいしつこい誘導で筆者をつなぎとめた。
しかして、当該の風俗嬢もまた、敵側に与する人間だったのである。
筆者は毎月のように個室付浴場に通わされるようになる始末であった。
これには、別の目的があった。
それは、男性としての自信を完膚なきまでに喪失させてしまうことと、まともな異性交際に目を向けさせないようにすること、そして身近な縁に近づかせないようにする事であった。
何故なら、風俗通いほど女性に忌避されるものは無いからである。
実際、後には「風俗に行けばいくほど身近な縁が遠ざかっていく」と考えるようになり、そのことが最終的に風俗通いをしなくなるようになってそれで身近な縁を呼び込んだともいえるからである。
その縁も、敵の策謀によって破壊されることとなってしまっているが、それについては回顧録の進展に従って詳しく述べてゆく。

毎月のように通いながらいざとなるとまともに機能しない始末で、後年の回復から云っても今日においては明らかに身体操作によって性機能を低下させられたものであると断言できる。
いったいどこまで根性が腐っているのか。
結果、2007年に完全に風俗通いを辞めるまでに相当な金額をそこで使わされることになる。

この風俗地獄では、多いときには月に10万も使わされるなど、当時の年令では人より稼いでいたであろうその実入りを徹底的にはたかされるのに利用されることとなった。
それは、徹底的にはたかせることで貯蓄をさせないこと、そして考える余裕を与えずにさらに負のスパイラルに陥らせ以って将来的に筆者を社会的に抹殺する目的で行われたのである。
風俗地獄で使わされた金額は、ラ・チーカ事件によるものを含めて最低でも300万円、最悪の計算なら600万円に上ると見られる。
もしこのお金が残っていれば…。
少なくとも、今日の状況のように貶められることは無かったであろう。
まさしく演出型ハラスメントである。

もし誰か身近な人がいて助言があれば、間違いなく引き止めが入って止めさせてくれたことであろう。
それをさせないための「離断政策」の強要であり、風俗地獄に引きずり込むことは彼の「新宿事変」の時に既に予定されており敵にとっては既定路線だったのである。

埼玉移住

それでも向上心の強い筆者は、新たな環境を求めて埼玉県に移住する。
埼玉住まいは、場所を移しつつ1998年まで続くことになる。
会社は板橋にあったので、埼玉から新大宮バイパスで会社に通う状態が長期間続くことになった。

しかし、敵がこの安定状態をだまって見ていようはずはなかった。

この頃になると、筆者の周囲にはあまり仲間のいない状況となっており、ほぼ孤立化された状態となっていた。
敵は、周囲の者に対すると根回しと単発的、あるいは継続的な洗脳を利用して、これ以降筆者を段階的に追い詰めるようになってゆくのである。