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失意の中へ、そして闘争の本格化へ

時は1997年になっていた。
この頃から、筆者は低迷期に入ってゆくことになる。
普通であれば、既に結婚しているか、もしくはしていなくてもパートナーくらいはいる状況が当然の年令に達していた。
しかし、筆者は目に見えない強大な敵にキャスティングボードを握られ、自由の無い状態であった。
敵は、やりたい放題であった。

風俗地獄は、敵による人格破壊策動の根幹をなすものであった。
夢中にさせることで大切なことへの注意をそらすという、典型的なやり口でもある。
この頃になると、風俗のことしか考えられないほど、風俗地獄に深くはめられていた。
こんな状態に貶めるために、それまでの策謀の全てはあったのである。
元「友だち」役の男の狡猾な策謀⇒新宿事変(T.Sの件)⇒宅配時代の某事件⇒離断政策の強要⇒瀬戸事件⇒ラ・チーカ事件⇒風俗地獄…
という図式である。

宅配時代にいくつかの小さい事件があり、身近な縁というものに興味を持たせないように仕向けられていた。
しかして、それらもすべて敵の策謀であり、テクノロジー犯罪部隊による操作、および学会組織による根回しであったのだ。
敵は、どんなに小さな縁であっても、それらを悉く無慈悲かつ残忍に潰して回っていたのである。

この頃、筆者は体重が90キロ近く(ベスト75㎏)あり、糖尿病に加え肝臓を患っていた。
これも、敵が食生活をその様に操っていたことによるものである。
性機能が弱っていたのは、この糖尿病によるものだったのである。
これらは、次第に収束に向かってゆくことになる。

縁を切った、元「友だち」役の男は、会うたびにT.Sのことをだしにして筆者を欺いていた。
そして、筆者のやることなすことすべてを否定していたのである。
かくしてこの男も敵の意向通りに動いていた訳であり、身近な縁を考えさせないようにしたという点では同罪である。
男は学会員ではなかった(筆者の学会隷属時代に学会にはいなかった。)が、創価が何らかのルートで根回しを行い依頼していたものである。もちろん、「本人に言ってはならない」という極めて危険な手口だったのである。
いずれにしても、その行動を見れば、それは明らかに敵側の人間そのものであり、演出型ハラスメントそのものである。

転落へ

このような情勢となっていた1997年5月、筆者は自宅近くで事故に遭った。
事故とは云っても軽微で、自車は修理の必要もなかったが、度重なる被追突で腰をおかしくしていた筆者にとっては結構なダメージであった。
この事故による長期休養をきっかけとして、生活が行き詰っていく。
このような場面は、敵が得意とするパターンであった。
次第に仕事に行く、仕事をするのが億劫になっていき、精神的にも蝕まれていた筆者は、敵の思い描く通りに転落させられてゆくこととなった。
思考も本末転倒なものとなっていき、それはその後10年以上にわたって続くこととなる。

結果、この年の秋には自家用車を手放してしまう。
というより、クレジット業者に持っていかれてしまったのである。
165万で買ったものが、3年しかたっていないのに10万円で持っていかれてしまったのだ。
今にしてみれば、そんな馬鹿な話はあり得ない。
少なくとも、当時で10万円ということはあり得ない。
というのは、最近25万で買った車の売値が10万円だったからである。
17号沿いの中古販売店でも10万と言われこれを蹴っていたが、要するにどこかから話が行っていたのだ。
少し待てば何とかなったものであるが、クレジット業者の連中にいいように言いくるめられ、策謀に乗せられてしまったのだ。
彼奴等は謂った、「足もと見られてんだよ」と。
しかし、それはためにする言いがかりである。
テクノロジー犯罪部隊とは別のところで創価が根回しをしており、すべてがグルだったのだ。
追い打ちをかけるように、一家の別の一台も修理不能となってしまい廃車の憂き目にあう。
これらの事象も、風俗地獄と表裏一体であり、風俗地獄が無ければ起こり得なかった。
風俗地獄でカネを吸い上げられたことによる金員の余裕の無さによって、これらすべての事態は惹き起こされたと云える。

この頃、筆者は多くの債務を抱えていた。
それらのほとんどは、所謂ノンバンクという貸金業者からの借り入れであった。
彼奴等は、一度借入れに来た人間をカモにして金利を吸い上げて儲けていた。
それ以上借りる必要もないのに、徒に電話セールスで勧誘して借りさせるという手口であり、それは物欲を煽る勢力と表裏一体である。
カネの無い人間には借金させてでも買わせるという手口であるが、筆者に対しては「無理に借りさせてでも使わせる【浪費させる】という手口であった。
勿論、借りなければいいのであるが、敵がそうさせるはずは無かった。
負債を背負わせるだけ背負わせたいからである。
負債を背負わせることで、身近な縁をモノにすることをためらわせるという奸計である。
これ以降、負債の償還が一家の中で大きな命題となってゆく。
風俗地獄には、「負債を背負わせたままにしておく」という奸計も含まれていたのである。
風俗地獄に吸い上げられたカネがあれば、それらは楽に償還することが出来たはずであった。
そこを誤魔化して徒にはたかせる手口は、後にも用いられることになる。

この頃になると、女性不信が深度化しており、筆者の胸の内には裏切りや交際類似行為といった汚い事をする女たちへの怒りと、もう傷つきたくないという念が渦巻いていた。
この頃にも、敵は強制睡眠や女による罵言などを多用して筆者の信用を貶めていったのである。
しかして、これらは全て敵側の操作や根回しによるものであり、ガスライティングであったのである。
学会を辞めてから、10年近くが経過していたが、宗教のことはあまり考えなくなっていた。
というより、宗教のことは敵によって頭の中から取り去られていたのである。

筆者は、明くる年の1月10日頃を最後に仕事に行かなくなってしまった。
今にしてみれば、本当にもったいない話である。

実母(モラ親)が横死してから、10年近くが経過していた。
その実母は、仕事をすることの大切さ、仕事ができることの有難さを一切筆者には教えなかった。
が、それはどこまでもこのモラ親が信奉していた創価学会の指示によるものであり、それは「本人に言ってはならない」という大変危険な手口だったのである。
重ねて書くが、悪魔に手を貸すような所業に手を染めるから横死するのだ。
池田教にかかわるとろくなことは無い。

退職

結局筆者は、3年以上勤めた会社を傷心のうちに去ることになった。
1998年2月10日頃のことである。
奇しくも、新宿事変のあったのと同じ日である。
その新宿事変からは、6年が経っていた。
これは、偶然のようであって偶然ではない。
敵によってわざわざ日付が揃えられたと考えるべき代物である。
これは、今にしてみれば敵による犯行声明であったとも云える。
この「日付揃え」の手口はその後にも何度となく用いられることになる。

筆者は、とりあえずしばらく静養することにした。
この時、筆者は再び実父の命により実家に戻ることとなった。
それには、一家として特別の意味が込められていた。

巻き返しに向けて

この時、筆者は一つの結論に達していた。
それは、交際問題の正しい解決が失地回復には不可欠であるというものであった。
確かに、交際問題を正しく解決できなかったことがこの様な状況を招いたことは確かであった。
しかし、そこには「真の敵は何であるか」という重要な視点が欠けていた。
一家は、1998年2月13日に「交際問題特別協議会」と号し組織化する。
実父を初代当主に立てて、筆者は全権委任を受けて施策面を担当した。
ここから、一家は巻き返しに向けて歩みを始めることになる。

ともかく、まだ戦うべき敵の正体は解らないまでも、失地回復に向けての闘争が始まったという点においては特筆に値した。
従って、今日でもこの日を失地回復闘争の起点であると決しており、「失地回復闘争記念日」として一家の重要な記念日としている訳である。
つまり、この時点では「戦うべき敵の正体」をまず突き止めるべきだったのであるが、それを突き止められることは創価学会にとって非常に都合の悪いことであったがゆえに、隠蔽されてしまったのである。

だが、新宿事変からの6年は、あらゆるものを無残に破壊し、失地回復を事実上不可能な状態にまで追い詰められていたのである。
その様な局面でするべきことは、最低限うまく生活を回してゆけるようにすること、そして身近な縁を大切にする事である。
しかし、敵がこの闘争開始の動きを黙って見ていようはずは無かった。
敵はそのようなことではなく、あくまで上だけを向かせることで大切なことから目を背けさせたのである。
手の届かないモノだけに目を向けさせることで大切なことを破壊してゆくのは敵の常套手段であると云え、また権力の常套手段でもあると云える。
そして、敵はやるべきことから目を背けさせ、別のモノにすり替えてゆく手口をこの時から多用するようになる。
所謂風俗地獄もこの手口であるが、この時からは非常に広範に亘って斯様の手口を用いるようになった。
また、この頃には敵の策謀の数々によって思考が単純かつ短絡的なものに次第にすり替わっていた。
単純かつ短絡的な思考ほど洗脳にとって都合のよいものは無いからである。

この時の筆者には、まだ少しばかりの蓄えがあった。
ここで敵が考えたのは、その蓄えをはたかせることであった。
蓄えをはたかせるには、仕事をさせなければそれだけで事足る。
また、折角稼いだものが敵の策動によってほとんどはたかされてしまったこと、さらに人縁がほとんど絶たれたことが、敵にとっては殊更に好都合であったのだ。
敵は、本来取るべき復職の手立てから関心をそらし、安逸をむさぼらせるように仕向けた。
都合の悪い行動を取ろうとすると力尽くで押し止めてくるのは敵の常套手段である。

しかして、3か月近く足止めされることとなり、働きだしたのはGW明けのことであった。
この時、初めて日払いの派遣に手を出したのであった。
程なく無理がたたって、腰を痛め、現場を代ることとなった。
最初の現場よりは楽なところに移してもらえ、週払いで働き続けることができた。
この派遣会社は、主にSGの会社の関連の現場に人材派遣をしていた。
一家には、巻き返しの機運が盛り上がってきていた。

しかし、敵は創価学会・広宣部だけではなかった。

新たな敵は、荷主の都合であった。
荷主の都合で、現場の人数が大幅減となり、筆者は整理の対象となってしまったのであった。
この荷主の都合は、敵にとって非常に美味しいものであった。
筆者が「整理組」に回されてしまったのは、敵による印象操作と根回しの所為である。

かくして、ここから地獄のような日々が続くことになる。