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職を転々と、そして四度目の就職

1997年5月の事故を端緒として失職に追い込まれた筆者は、1998年2月より交際問題特別協議会と号し巻き返しに注力した。
しかし、敵は創価学会・広宣部だけではなかった。

宗創戦争の行方

日蓮正宗が創価学会を破門してから、6年余りが経過していた。
宗門は、宗規を改定し重ねて他の団体に所属した者は信徒資格を喪失すると規定したのである。
2か月の猶予期間と周知を経て、1997年11月30日を以って創価学会員の日蓮正宗信徒資格は喪失することとなった。

化城の嚆矢

荷主の都合で整理対象となった筆者は、これがきっかけとなって職を転々とする事態になった。
その前、98年5月に初めて日払いの派遣に手を出した頃のことである。
何度となく「クルマは金食い虫だ」という声を聞いた。
勿論幻聴などではなく、人の口からである。
しかし、これは他人を発声装置として利用した、敵による吹聴だったのである。
これが、後に筆者を苦しめることになる「三本柱の化城」(トリプルバインド)の嚆矢だったのである。
そこからどこへ誘導しようとしたのか、敵はこの時点ですでに決めていたものと推定される。

先述の通り、1999年の新年早々に整理対象となった筆者はどうにか失職を免れ、他の現場に入ることとなった。
敵には、このことが殊の外気に入らなかったようである。
敵が用いたのは、彼奴等が最も得意とする、負の感情のマインドコントロールである。
そのため、目の前の仕事に未来への希望を見出すことも出来ない陰鬱な思考にさせられてしまったのである。
これにより、新しく入った現場に馴染むことが出来ず、結果派遣先の責任者から派遣元に連絡が行って現場から外されてしまったのである。
仕事をさせて貰えることの有難さを実母(モラ親)が教えなかったことが、ここでも敵を利することとなってしまったのである。
云うまでもなく、それも敵の意向通りであり、電磁波犯罪というものがまだ世には知れていなかった当時の情勢では、敵はやりたい放題だったのである。
なお、就業妨害はガスライティングの一要諦にもなっており、このことからもこれは演出型ハラスメント以外の何物でもないと云える。

多用された強制睡眠

現場から外された後、筆者はイレギュラーでのスポットの仕事しかもらえなくなってしまった。
このため、収入が激減してしまい、生活にも差し支えるようになる。
筆者は、派遣会社を辞め、とある警備会社のアルバイトを始める。
すると、ここでも広宣部・テクノロジー犯罪部隊が暗躍する。
奴らが最も多用したのは強制睡眠である。
この手口は今日に至るまで使われており、ターゲットを貶めるのに広く多用されているとみられる。

先の現場にいる頃から、少し間が空いただけで眠気に襲われるようになった。
そのせいでどこへ行っても信頼されなくなり、更に負の感情のマインドコントロールによって上手くいかない状態が続いた。
結果、警備会社でも仕事を入れてもらえなくなり、わずかに3か月しか持たなかった。

この二つの就業妨害は、敵による悪辣な誘導のためでもあった。
もっと平たく言うと、これらの就業が敵が思うようなものでなかったことによる。
つまり、これらの就業では敵が思うような方向に誘導が出来ないからである。
ちなみに、その前のSRCの仕事も含めて、これらは全て電車通勤であった。
つまり、それは電車通勤では誘導の出来ないようなものだったことになる。
この時点で、1999年の半ばに差し掛かっていた。
なお、この誘導は後年に行われたものとは全く逆のものであり、敵はその時々によって都合よくころころと違う方向に誘導していたものであり、実際に後年には「バイク通勤を前提とする」ようにマインドコントロールまで行っている。

「バイク」への誘導

半年の間に二度も失職の憂き目にあった筆者は、「都内」の募集で新聞販売店に応募した。
しかし、実際の勤務先は都内ではなく、本社が都内だっただけである。
これは本来用いてはならないやり方で、いわば「だまし討ち」であるといえたが、そのようなことが判らなかった筆者は経営者の口車に乗せられてしまう。

実際の勤務先は、千葉県某市内であり、寮住まいの仕事だという。
寮とは言っても、借り上げのアパートであったが。
仕事内容は、新聞配達であったが、実際にはそれだけではなかった。
それは後述する。
この某市内には、某島人の時には練馬区にあった、K学園の女子寮が移転してきていた。
そのことは、この職場に入って程なく知ることとなっていた。

新聞配達は、当然にバイクで行われる。
とどのつまり、これが敵の狙いだったのである。
この販売店では、専ら50㏄のバイクが使われていた。
50㏄であれば、自動車の免許で運転することが出来る。
そこが狙いだったのである。
敵側の調査部門は、相当に下調べを積んでいたに違いない。
そうでなければできない狡猾な誘導だからである。

実際の仕事内容は、新聞そのものの配達の他、集金と拡張(つまり勧誘)が含まれていた。
その拡張を覚えさせるために、某販売経営学院なるところで研修を受けさせられた。
だが、そのような人を騙すような狡猾なセールスが筆者に向こうはずもなく、拡張成績では水を開けられることとなる。
もう一つ馴染めなかったのが、「年齢無視」の実力一点主義の序列である。
更に、年下の学生にまで「君付け」で呼ばれるなどは到底なじめるものでなかった。
つまり、「入った順」だったのである。
今の私であれば当に辞めているであろう環境であったが、こういう時に限って敵がそれを許さない。
つまり、それは「バイク」の刷り込みが敵にとって最大の命題だったからに他ならない。
結局、翌年の春に今度は神奈川県下の系列の販売店に移ることになった。

邪宗への誘導

この頃、敵は既に後年に行った宗教への誘導のために環境整備を画策していた。
恐らく99年か2000年の新年、筆者は敵のBMIによる洗脳に誘導されて鎌倉の有名な神社に行かされていた。
その後、敵は人的・BMIの両方の手段で以って不快な事件や事象などを複数惹き起こし、筆者に(邪宗教の罰だという)重大な勘違いをさせるための誘導を行ったのである。

99年の秋、一家史の中でも悪名高い「一号形原付車」が入線する。
この原付車は、50㏄のスクーターであるがハンドルが広く、「アメリカンテイスト」を謳ったものであった。
名目上は「足の確保」であったが、そこまでしても「バイクに乗せる」ことを敵は優先したのである。
なお、この原付スクーターはその後5年の休車を経て何と2012年まで在籍することになる。
この頃から、敵による「バイク」の刷り込みがさらに本格化する。
いつしか、バイク雑誌なるものを読まされるようになる。
そして、そのようなものを繰り返し読ませることで強烈に刷り込んでいった―
こうして、最初の柱である「バイク」の幻想が形成されていったのである。
しかし、その頃にはそこから先に進むことは無かった。

4度目の就職

20世紀も終わりが近づいていた。
2000年が、第一次失地回復プロジェクトの達成期限であった。
しかし、日々の生活に汲々としていた筆者にはそのための取り組みなど出来るはずもなく、時間だけが過ぎてゆく。
もっとも、キャスティングボードはまだ敵の手中にあったので自由などなかったのだが。

そんな最中、止む無く続けていた仕事がまたも行き詰る。
実父の提案もあり、以前勤めていた職種の会社に就職することにした。
1社目には落ちたものの、2社目でOKが出て、正規雇用への復帰が決まった。
このため寮となっていた部屋を後にして実家に戻った。

砂のしろ

この時点で2000年10月半ば。
あと2か月で出来ることなど皆無に等しく、もはや20世紀中の失地回復は砂の城同然であった。
職を転々としたことが崇り、徒に時間を空費した一家に時間は残されていなかった。
しかし、出来ることからやるしかない。

筆者は、とりあえず目の前の仕事に注力することで新しい生活の建設に邁進した。
この時出来た基礎が今日の革命一家を支えているといっても過言ではない。
2000年11月、念願のPCを手に入れた。
20世紀中の失地回復は最早砂の城同然であったが、新たな体制の建設は急ピッチで進んだ。
2000年12月27日、インターネットへの参戦を果たしたところがゴールラインであった。

達成期限の2000年は遂に終わりを迎えた。
ここに、20世紀中の失地回復は砂の城と消えた。
しかし、一家はまだ未来への希望を捨てるわけにはいかなかった。

こうして、一家は2001年、つまり21世紀に突入してゆくことになるのである。