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第一次解放聖戦終結後の動向

石之坊脱退後の混乱

石之坊から粛清された2010年4月10日は、敵宗門の「御報恩御講」の行われる第二日曜日の前日であった。
先にも書いたとおり、法悦院以外の選択肢は奪われており、法悦院に籍を移して引き続き宗門に隷属させられることとなった。
これを再出発と称することが適当かどうか疑問があるのは勿論だが、当時としては一応再出発であり、現に当時はこれを再出発と称していたのが実情である。

再出発は果たしたものの、生活の再建は進まず、その枠組みをめぐって紛糾することになった。
その中で、6月上旬を以って写真活動を一旦休止し、故障したままであった原付車を復旧することにした。

この頃、私の生活を支えてきた取手とうきゅうがこの年の8月いっぱいで閉店することが決まり、当時の生活では食材を遠くまで買いに行かねばならなくなることが予見された。
また、今後の生活再建のうえで次の職場への通勤手段とすることも見込んだ。
そして2010年6月23日、自動二輪圧殺直後に北本通りで故障して以来5年2ヶ月ぶりに原付車が復活し、生活の舞台に復帰を果たした。

しかしながらそれが遅すぎる復帰であることを後に思い知ることとなる。

翌7月の中旬くらいから、特に左目の見え方がおかしくなる現象が起きていた。
それでも本腰を入れて仕事を探すことにして、まず生活の体制を整えることにした。
そしてこの年の夏はこの時点でかなり暑かったためクーラーを入れることにして、機材を整理した。
こうして原付車、クーラー、そして必要最低限の機材という体制が整った。
23日、25日と限定的に遠征撮影を行い、27日を以って再び写真活動を中断し、本腰を入れて就職に取り組もうとした、その矢先にそれは起こった。

突然の大病、そして療養

28日頃から体調が悪化の一途をたどり、吐き気を及ぼしたり目がおかしかったりして一気に崩れた。
そして診療所でとんでもない病状が判明することとなった。
200にも及ぶ超高血圧、慢性心不全そして腎臓の機能低下。
一転して療養を強いられることとなり、さらに高額の医療費が家計を圧迫した。

機材は売却、就職活動はお預けとなり、ふたたび振り出しに戻った。
この年の夏は異常に暑く、連日の35度超えという有様であり、クーラーがなければ恐らく乗り越えることは出来なかったであろう。
クーラーと原付車があってこそ乗り越えることが出来たものだともいえる。
9月に入ってもなお暑く、8月一杯で駅前スーパーが閉店したこともあって遠くまで食材を買出しに出ねばならず(当時MrMaxはまだ無かった。)、原付でもなければ大変な負担になったであろう。

それでも病状がひとまず落ち着いたことで野球観戦さらには総登山にも参加した。
この頃から、石之坊では何一つ大切なことを教えていなかったことを思い知らされる出来事がいくつかあった。
少しした頃、担当医師の態度がおかしいこと、更に薬があまりにも多すぎることに気づいた。
これは何者かの意向が働いている。
そう思ったのだが、これが却って敵一味に利用されることとなったのであった。

要はすべてがグルで、裏で結託して動いていたのである。
これは後年にわかったことであるが、宗門とその傘下である学会と、医療利権は全てグルであり、これらが結託して全ては行われていたのである。

私は病院の幹部を呼んで、その医師を更迭させた。
おそらく敵一味の工作員は、恐らくサイト(そのサイトは現存しない)での療養告知を見て、しめたと思い攻撃をエスカレートさせたのであろう。
事実、そのサイトで療養告知を出してから薬が一気に増えているのだ。
私にはレンサバのノウハウがありアクセス遮断の手法も熟知しているが、それらにはおのずと限度がある。
S川だとかRB○装だとか創価だとかのアクセスは遮断できても個人ユーザの遮断は難しいのが現実である。
宗門にしろ創価にしろ、全てのネット謀略活動を本部のドメインでやっているわけではなく、工作員個人で契約したネットまでは監視しきれないのが現状である。

この時点で、あの忌まわしきSG現場の連中を粛清してからちょうど1年であった。

その後、病状が安定し再度就職への歩みを始めようとしたが、公的貸付の最終月を迎え、再び歩みが止まった。
そこで始めて生活保護を受けることとなり、年内は療養に専することとした。
しかし、そこにも負担を重くするためのからくりが仕組まれていたのである。
生活福祉資金は就職活動を行う前提の貸付金であり、就職が困難となれば貸付を打ち切ってもらい生活保護を受けるのが筋である。しかし、敵一味はそのなすべき措置を押し止め負担が最大になるように仕組んだのであった。

私が大病に伏して療養生活に移ったのがこの年の8月であった。
生活福祉資金の貸付は毎月下旬だったので、この時点で打ち切っていれば約45万円、負担を軽くすることが出来たのである。
敵一味は、それを押し止めたのである。
この敵一味という言葉には、当然敵宗門が含まれるし首謀者が宗門である以上それを含めて使うのが当然でもある。
しかし、この当時ではそのようなことは勿論遠隔洗脳犯罪があることを知らなかったので、どうにもならなかったのである。
最悪、この療養開始の時点で社協に相談に行っていればこの余計な負担は防ぐことが出来たのであろうが、敵一味はそれすらさせなかったのである。

なお、社協の貸付を打ち切って生活保護を申請するのであれば、先に貸付の打ち切りを申し出るべきである。そうしなかった場合、狡猾な役人に「勝手に打ち切るな」とやられてしまう恐れが大きいからである。先に打ち切ってしまえば、既に打ち切ったものを撤回することも出来ないので申請を受理させることが出来る。出来れば、打ち切り申し出から2、3日置いて申請に行くといい。

この頃、敵一味は遠隔洗脳犯罪によって「門外漢女が病院側と結託している」などと吹聴し、巡回などというものをけしかけてきた。しかし、敵は自分でけしかけた巡回を自分で押し止めて悶々とさせるような所業に及んだ。
何故自分らでけしかけておいて押し止めたか?
それは、本当に巡回されてしまうと何もなかったことがわかってしまい敵一味の捩じ込んだもの全てが瓦解する危険があったからに他ならない。そうなった場合、最悪宗門からの脱退という事態に発展しかねないのである。実際に後年ではあるが宗門から脱退することとなっているわけでもあり、同様の例は私だけではないだろう。
つまり、この件は敵一味が吹き込んだ「門外漢女が首謀者」というあらぬ思い込みを固定化するために行われたということであろう。そうすることによって、全ての憎しみが門外漢女に向かうことになり宗門が矛先を逃れることが出来、隷属させ続けることが出来るからである。

結局年内は療養に専念し、激動の2010年を終えた。

動き出した生活再生、しかし…

明けて2011年、しばし休養の後、1月中頃から就職活動に取り組む。
しかしながら当初希望していた運輸関係の職はなく、以前やっていた仕事に行く事を了承。
当時はまだ健常者扱いであったため、どうしても就職することを迫られてしまうという事情があったのだ。
しかし、病み上がりであった事、父が既に他界していて身内が居なかった事により難航し、1月末に内定していたのが本決まりになった時には3月を迎えていた。
だが、本決まりになった事で未来への希望に満ち溢れていた。
「まともなら突き抜けてやる!」
それは、今まで苦しめられてきたあの連中、そして忌まわしき過去の総てに対する宣戦布告である。

しかし、予想だにせぬ事態がその先には待ち受けていた。

11日に大震災が発生し大きな被害を出した。
しかし、仕事は予定通り14日からスタートし、再生への歩みが始まる。
だが、直前に発生した大震災による自粛ムードはその行く手を阻んだ。

経済の回復に手間取り、再生は停滞した。
次第に回復はしていったが、原付の故障で修理代がかかり、コストを回収しなくてはならないため計画を変更しなければならなかった。
それでも信じてハンドルを握り続けたことが、次第にではあるが事態を打開していった。

そして10月26日、待望の機材奪還を果たす。
それも前の絶頂期に使っていた、EOS40Dでの復帰というまたと無い恵まれた復帰であった。
以前の教訓から、レンズは最新のキットレンズとし、コストを抑えつつ画質には拘り抜いた。
写真というのは画質第一だ。
そして、画質はレンズで決まるものだからである。

明けて2012年、取り組みの数々が実を結び始めた矢先、突如PCが起動しなくなる。

再生を試みるが動き出さず、PCの緊急導入で思わぬ出費を強いられた。
起動しなくなったPCが動き出したのはデータを移し終えた後だった。
起動したとは云っても起動が非常に遅く、到底使える状態にはなかった。
この時は解らなかったのだが、これは敵宗門と結託した連中による電磁波によるPC破壊テロだったのである。
その顛末には、失地回復の悲願を阻まんという強固な意思が感じられた。

その後私は待望の自立を果たし、生活の再生が確定的となった。
そして2012年5月1日、遂に自動二輪教習を開始した。
そして5月25日、待望の自動二輪免許を戴く事が出来たのである。
それはストレートしかも卒検一発クリアという恵まれたものであった。
翌月、念願の自動二輪車を遂に奪還。
構想から13年、あの忌まわしき自動二輪圧殺から7年が経っていた。

ここに石之坊サイドをはじめとする敵対者連の奸計はその総てが完膚なき崩壊を遂げたかに見えた。
しかし、敵一味の更なる邪悪な企みなど私には知る由も無かった。

謀略による事故とマッチポンプの煽動

あの大粛清から3年弱、この間数々の謀略や大難さらに大震災という思わぬ障害にも拘らず、生活の再建を果たし機材を復活し、そして遂に自動二輪免許を奪還そして念願の自動二輪車導入まで一気呵成に実現した。

しかし、第六天の魔王というのはこうした時に襲い掛かってくる。
まさしくその身を以って第六天の魔王たる敵一味・宗創医連合軍が、それを黙って見ていようはずも無かった。

自動二輪車の導入が決まり、それまで使っていた原付車を廃車回送し、代車に乗ってきた。
これが全て筒抜けになっており、敵一味が遠隔洗脳装置を使い筆者を亡き者とすべく新たな策略を練っていたのであろう。

しかして、その代車で事故に遭い、代車が大破、筆者は全治3ヶ月で後遺障害の残る重傷を負った。
入院こそ免れたものの、仕事にも行けず折角の自動二輪車にもしばらく乗れなかったのだ。
この事故は、電磁波により相手方もともに操作されて衝突させられたものだったのだ。

だが、一ヶ月と経たぬ間に制限付きではあるが自動二輪に乗れるところまでこぎ着け、新しい輸送体形が完成した。
もちろん御講に行くにも人の助けは借りなかった。

しかし、敵一味という卑劣な連中が、新たな謀略そして攻撃を準備していたのだ。

事故の少し後から、まず勤行中に、そして後には一日中、「悪魔の囁き」が聞こえてくるようになったのだ。
これは、後でわかったことだが、電磁波犯罪の一部であり俗に「音声送信」或いは「言葉の送信」といわれる手口だったのである。
特に、三宝に対する誹謗の言葉をしつこく送信され半ばノイローゼ状態に近かった。
今であれば信じていないのでなんともないだろうが、当時としてはとてつもない苦しみであったことを今でも覚えている。

それでも持ちこたえていると、敵は更なる謀略を用意してきたのだ。
俗に「公開処刑」といわれるやり口である。

その事件は未だ未解決であり、今後の解明が急がれるが、あらかじめ何も知らない講員にあらぬ事を吹き込んだ上で口汚く罵倒するように依頼し、その上で筆者を電磁波で暴走させ紛争に持ち込んで恥をかかせたというのが真相だ。
なお、敵一味は有史以来しばしば公開処刑のような手口を使って私の名誉を傷つけるようなことを繰り返しており、人格破壊への強固且つ邪悪な意志が露見している。

9月1日、事件の直後ではあったが、添書登山を申し込んでいたので久しぶりの登山を敢行した。
今回は、はじめての自動二輪での登山となった。
以前には、原付車で登山した事はあった。
しかし、杉並から5時間もかかってしまった事、更に故障による休車もあって、一度だけで終わった。
2010年の復活後も、バスや相乗りで登山するようになったため、代替えに至るまで行ってない。

この登山中、何者かの声で
「これが最後だぞ」
という脅しの電磁波送信があった事を付け加えておく。
記憶が確かなら、それは千ラシ裏女の声だ。
しかし、千ラシ裏女でなくとも奴の声に似せて送信することは出来る。
これもまた、行為者の正体をひた隠しにして見当違いのところに矛先を向けさせ、間違っても宗門が標的になることのないようにするためのものであったといえる。
また、それをネタにして抵抗させ却って宗門に執着させるための策であったのだ。

登山の後、あらぬ感情の凄まじい刷り込みと煽りが続き、余りの屈辱に、私はいい加減脱退しようかとさえ考えた。
それが電磁波によるテクノロジー犯罪である事を知るには、今しばらくの間待たねばならなかった。
逆に言えば、今にしてみれば忌まわしき宗門から脱退する絶好のチャンスであったのであるが、本当に抜けられてしまうとそれまで敵が積み上げてきたものがパーになりかねないので、煽るだけ煽って寸止めにするつもりだったらしい。
かくして脱退は叶わず、宗門に隷属させられた状態が続くこととなるのであった。

要するに、これは自分らで危機を演出しておいてその危機を乗り越えたかに見せかけ、宗門への隷属を決定的にするためのものだったのである。つまり、洗脳を強化するためのマッチポンプ事犯だったということである。

それから間もなく、私はネット上であるサイトにたどり着いた。
そこには、某カルト宗教の新たな工作手口であるテクノロジー犯罪、つまり遠隔洗脳犯罪の事が書かれていた。

今までの事に照らして、これ迄の至る場面に電磁波攻撃が使われている事を覚知する事となった。

大きく分けて、次のようにしてそれは使われた。

1.けしかけ
あらぬ事を吹き込んで、筆者の考えや行動を狂わせるためのけしかけに使われた。
2.刷り込み
怒りや憎悪、執着といったあらぬ感情の刷り込みや、工作員の復活感情や創価系アイドルグループを刷り込み、筆者の思考を大いに狂わせた。突然変異のようにふっと急激に感情が沸き上がってくるという特徴がある。しかも、かなりの強さを伴う。
3.煽動
刷り込んだ感情を激しく煽りたて、筆者に誤った行動をさせた。
4.言葉・音声の送信
筆者の意思と反する言葉を「悪魔の囁き」としてしつこく送信して同調させようとした他、音声を送信したり、脅しの言葉を送ってきた。

しかして、刷り込まれたものを粛清する作業が始まった。
だが、そのサイトは敵一味が誘導した、敵一味にとって不都合の無いサイトであった。
そのサイトは、一方的に創価だけを悪者にしており、また面白おかしく脚色されており、非常に高度な技術による犯罪であることを隠蔽しなお且つ真の行為者を隠蔽する寸止めサイトであった。
つまり、これは敵一味の予定通りの、意図的発覚である。
なお、上記の4点の手口は、私が各種情報に照らして正しいと判断したものを載せている。

それでも、日々の詮索の中でこれまでを振り返り、本来の思考や趣味にないものや、過去の不可解な行動を解明する作業を行った。
特に重篤だったのは、
千ラシ裏女の復活感情の刷り込み
某創価系アイドルグループ
上記グループの元メンバー
いずれも、ガチでカルト構成員なのだ。
法華講員もカルト講成員であるのだが、このときにはそれがわかっていなかった。

当初、次のように考えられた。

門外漢女の入信後、最初の刷り込みがあったことは程なく解っていた。
その後、筆者が石之坊を脱退するまでは代理人や工作員による工作が主で、電磁波による手口が従であったが、石之坊の脱退意向は専ら電磁波による工作を行った。

しかし、それはある意味では合っていたが全くの正解ではなかった。
人の手で出来ないことだけ電磁波を使っていたのではなかった。
当初から両者が併用され、あらぬ思考や趣味そして異様に高い理想や憧れ等を強烈に刷り込まれ、完全に別人の思考にさせられてしまっていたのであった。

そして、SGのキーパーソン・千ラシ裏女の新たなる罪状が判明する。
この女は、筆者を苦しめるために送り込まれた工作員だったのだ。
つまり、やはり最初からこの女は敵であったのだ。

千ラシ裏女はSGでの四年間、カルト構成員であることを明かすことは無かった。
しかしながら、その強引なしゃべらせ方、筆者がSGに流れてきた時の不自然な経緯、時折放つこの世のものとは思えぬ暴言、何かと筆者が秘密にしていることを暴こうと躍起になっていたことが決め手となったのだ。
なお、後になって千ラシ裏女についてはその他の特徴からもカルト構成員であることが裏付けられている。

この事が判明したことにより、2012年11月28日を一期に千ラシ裏女を永代追放処分とし、内からの誑惑はかろうじて免れたのであった。

そして、電磁波犯罪への理解が深まるに連れ、様々な真実が明らかになっていく。

まず、2012年年頭のPC故障が電磁波によるPC破壊テロであることが判明。
PCは電子機器なので、当然に電磁波の影響も受ける。
従って強烈な電磁波で破壊することも当然、可能である。
いかにも石之坊サイドの意向を受けたかのようなこのPC故障は、起こるべくして起こったテロであったのだ。

更に、石之坊を舞台に起きた、一つ一つの事件について、電磁波による刷り込みが併用されていることが明らかになっていった。
そして、千ラシ裏女が工作員であると判明したことから、その大掛かりな洗脳と誘導の仕掛けがいよいよ明らかになろうとしていたのであった。
その前、2007年以降機材の不必要な売却と購入が繰り返され多大なる損害を出したことに、感情操作が利用されていたことが判明する。
また、特に石之坊を脱退した2010年以降においては電磁波による攻撃が激化していたことが解った。

しかし、その実態はその程度で到底収まる代物ではなかった。
そこには、筆者を徹底的に貶めるための、とてつもない奸計が込められていたのであった。
それが判明するには、更に今しばらくの時間を要することになる。

新たなハラサー

この頃になると、創価学会からカルトサーフィンしてきた針谷という男と、会合に向かう車中などで度々同席させられるようになっていた。
この男、少しでも違うことを言うとすぐに重箱の隅をつつくように詰問してくるなどして筆者に非常に嫌な思いばかりさせることが多く、それだけでもはっきり言って嫌だったのだが、伊藤は私の苦情を無視して同席を強要してきたのだ。
針谷だけではない。時々乗ってきた婦人部の輩とかも同様であり、この頃から次第に講の雰囲気に嫌気が差してくるようになっていた。

しかし、この頃は未だ敵宗門の脅迫的教義によって強迫観念に駆られていたため、抜け出すこともままならなかったのであった。

その後、伊藤に真実を話しても「気のせいだ」などと相手にされず、やはりこのことからも宗門にとってこの犯罪は隠蔽しておきたいものであったということが伺えるのである。