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離壇妨害と脅迫事件、執拗な引き戻し策動

2014年8月以降参詣を停止し、「聖域なき見直し」を数ヶ月に亘って行った結果、筆者は2015年1月10日を一期として「敵宗門」日蓮正宗から永遠に脱退することとなり、以後敵宗門とは一切関係のないことを宣言したのである。
しかし、離壇手続きなどの事後処理は一筋縄ではいかなかった。
他ならぬカルト敵宗門が、それを黙って見ていようはずもなく、離壇手続きは困難を極めることになる。

本来、信徒名簿は寺院側にあるので離壇届けは末寺に郵送で送るのが正しい。
ところが、敵一味はこれを捻じ曲げ、容易に離壇させないように謀略を巡らせたのである。
これにより、「末寺に」「郵送で」行うべきであった離壇届けと本尊等の返上に際し、何と敵は本山宗務院に向かわせるように仕向けたのである。

敵本山には、東京からバスが通っている。
然るに、本山に向かわせることで離壇を押し止め、違う寺院に誘導してハラスメントを受けさせる誘導を為し、なおかつ「お仲間」のバス会社にカネを吸わせてハタカセるのがこの策動の目的だったのではないか。
かくして約1週間後、本山に向かわされた挙句に宗務院の坊主は何と離壇届けの受け取りを拒否したのであった!
そして、なんだかんだと屁理屈をこねて別の寺院に向かわせようとしたのであった。
これでは先述の通り無駄足でハタカサレてカネを吸われただけではないか!
しかし、一度脱退を決めた筆者が容易に誘導に乗ろう筈もなく、しかし離壇届けも出せない状態で事態は膠着状態となったのであった。

ところが、3月に入り筆者が真実を追及する姿勢を見せると敵宗門は態度を一変させ、一転して非常に不誠実な対応に変わったのだ。
当時のツイッターはまだ玉石混交状態であり、法華講工作員も混じっていた。
その中の一人が突っかかってきたのが事の発端であった。この者が、恐らく誘導予定だった寺院の講員だったということになる。
だが、いかんせん当時はまだ真実の追究が始まったばかり。なかなか有効な決定打を繰り出せず、議論は平行線になり、最終的にはこの者をブロックすることで議論を打ち切ったのであった。

演出のための奇怪な事件

このような情勢であった2015年4月、敵一味が汚い操作によって筆者を予定通りに帰らせずに引っ張り、工作員に引き合わせてこの工作員の汚い演技によって警察に連行される事件が惹起した。
このときの警官の態度が高圧的で、こちらの言い分を聞こうとせずに「素直に認めろ」などというまやかし言葉で屈させようとしたのであった。
しかし、筆者はあくまで真実を訴え監視カメラの映像を見よと主張し、その日は解放された。
だが、その後この一件がどうなったかの連絡もなく、警察の無能さと不誠実さが浮き彫りになった。
恐らくは敵一味にとって不利な情勢となったために問題の工作員を追及もせずにこの一件自体を無かったことにしたのではないか。
然るにこの一軒は敵宗門宗務院の指示によって惹き起こされたものであり、工作員の女は法華講であったと推定する。つまるところは敵一味の常套句である「罰」や「罪障」などというものを演出するための事件であり、事件当日は丁度脱退から約100日弱、正確には脱退日当日を含め95日目に惹き起こされた事件であり、これまた敵一味の常套句である「100日、1年、3年、7年」(恐らく偽書の言葉であろう)に託けて惹き起こされた捏造事件であった。

筆者は、この事件を機に身辺警戒態勢の大幅な強化を迫られることとなった。
つまり何かあったときに証拠を押さえるため―つまりこれが「哨戒用」の意味であるが―のカメラを整備し、何があろうと毎日持ち歩くこととなった。その装備は現在に至るまで続いている。
この他、「電車の乗り方ルール」を定めて引き延ばしの禁止などを定め工作員に到着までの時間を与えない、などの対策が採られこれ以後敵一味は同様の事件捏造を惹き起こせていない。

押しかけ事件の惹起

「罰・罪障」演出のための事件捏造の危機は切り抜けたが、敵一味がそのまま黙っていようはずはなくより大掛かりの策動を水面下で練っていたのであった。そして、それは「100日、1年、3年、7年」の「1年」を待たずして惹き起こされることになる。つまり、それはもはや敵一味には「1年」を待っている余裕など無かったことを如実に物語るものであり、引き戻せないことに対してどれほど狼狽していたかを物語るものでもある。
引き戻しのための人員を、敵宗門は3月初旬にも寄越してきていた。
これは寺に対する脱退宣告とすれ違いの形だったのであるが、寺が脱退宣告を受け取る前にそれが行われたことは敵宗門が汚い手段で筆者の行動を掌握していることと、それが寺にも伝えられていることを意味するものである。
しかし、戻るつもりは一切無かったのでこれを筆者は居留守で切り抜けていた。
これが、敵にとってはたまらなく不都合なことだったのであろう。
居留守で切り抜けられることは、すなわち「無視される」ことと同じ意味である。
無視されたのでは引き戻しも言論弾圧も出来なくなってしまうことを意味した。
そのために敵宗門は、絶対に無視できないような押しかけの策略を練っていたということになる。
そしてそれは、非常に無慈悲で残忍な、汚い洗脳つまりテクノロジー犯罪手法による強制操縦を伴ったものだったのである。

かくして2015年6月14日の夕方前、それは挙行されたのである。

この日、寺院をまたいだ敵宗門法華講の信者共が徒党を組んで筆者宅に押しかけてきたのである。
勿論、これとて「無視して」いればそれ以上にコトは発展しない。
ところが、敵宗門はテクノロジー犯罪による強制操縦を行う裏部隊を使い無視させないで激しく反応させるように強要したのだ。
更に、筆者のツイッターアカウント(今とは別のもの)が、知らせてもいないのに敵側に筒抜けになっていたのである。
これによって、反応がリアルタイムでこの押しかけてきた法華講工作員どもに伝わってしまっていたのである。
勿論筆者はそんなもの敵一味の者どもに教えるはずなど無い。
ということは、敵は汚い手段でアカウントを把握していたということになる。

この事件で重要なのは、通常は連帯することの無い複数寺院の信者共が連携して関わっていたこととテクノロジー犯罪による強制操縦によって敵に都合のいい行動を強要されていたことである。
つまり敵工作員どもはその強要された行動を見てせせら笑いを浮かべながら工作に携わっていたことになるのだ。なんという残酷さなのか。これを見てもわかるように、慈悲とかほざいているのは口先だけであり、実際には人が苦しむ(人を苦しめる)のを楽しんでいるような慈悲のかけらも無いような連中が敵宗門の者どもだということである。
また、通常連携することの無い複数寺院の信者どもが連携してくることは、それが他ならぬ敵宗門・宗務院の指示による犯罪行為であることを如実に物語るものである。何故なら敵宗門は非常に上下関係の厳しい封建的集団であり、教師級の僧侶と雖も上に無断で勝手なことは出来ないからである。それは信者は勿論のこと坊主どもにおいても同じであり、敵宗門において上下関係は絶対だからである。

問題の徒党は、少なくとも4人以上の人員で構成されていた。
この徒党の中に、石之坊に所属する幹部講員であり宗門の精鋭工作員である「龍神ひろし」こと齋藤という男がいた。
こいつが、汚い紙切れに連絡先つきでブログの閉鎖と謝罪を要求する文面を投函してきたのだ。
勿論反応しなければ何の問題もないし法的にも無視でOKだったのであるが、先述のとおり敵による強制操縦で操られていた状態だったので敵に都合の悪い行動が取れなかったのであった。
かくして持たなくてもいいこいつとの接点を持たされて以後長い間粘着されることとなっている。
勿論私は居場所など齋藤には教えていない。つまり、阿呆悦院の奴等が居場所を教えて案内したということに他ならない。これは、明らかに個人情報保護法に反した行為である。

この男は非常に尊大で高圧的な態度であった。
こいつは私の主張を悉く「ウソでたらめだ」といって全否定し、問題のブログだけで無く全てのブログの全削除と本名での謝罪更にネットからの撤退を要求してきたのである。
ところが、後になってわかったのだがこいつの言っていたことはそのほとんどがウソでたらめだったのである。
更に、こいつは偽名を使っていたのである。
さすがに本名を出すことにはソーシャルエンジニアリングへの危惧からしなかったのであるが、いずれにしても敵宗門はしなくていい謝罪やブログの閉鎖などを脅迫という手段によって強要してきたのである。しかも汚い強制操縦の影響下においた上で。

で、問題のブログのどこが問題だったのか。
後になって回顧録の後半部分に当時のものが修正の上でとはいえ使われているように、事実部分の記述には殆ど問題が無かったのである。
問題は、専ら敵一味がミスリードした部分である「誰が主体化」「誰の意向か」の部分にかかる誤認識が出てしまっていたことにあり、それを敵一味が汚い操作で疑わせないようにしてそうだと決め付けさせていた点にあった。つまり、原因は他ならぬ敵一味・宗創医連合軍特に首魁の日蓮正宗にこそあったのである。
問題のブログは、敵一味の汚い操作によって、やおら突然書かされたといえるものであった。当然、敵が汚い操作でその内容を都合よく改変することはあり得る。
更に、敵は行為者を「創価学会である」と偽り、敵宗門を疑わせないようにしていたのでその影響が問題のブログに脱退後も残っていたのであった。
問題のブログについては、何度も「内容に疑義あり」として見直しを図っていたのであるが、敵一味はそのたびに押し止めを謀っていた。
それ以前に一度は閉鎖もしたこともあったが、間をおいてまた汚い洗脳を発動して半強制的に書かされたものが、問題のブログだった。

そのうえ更に、それでいていまだ宗門に隷属させられていた時には決して突っ込んでは来ないで、脱退という局面を迎えて初めてそれがなされたものである。これは、その思い込ませた内容が「宗門に繋ぎ止めておくために」必要であったからに他ならない。そして、脱退された時にはこの不当に捻じ曲げて書かせた内容を以て脅しをかけて言論弾圧苦情潰しと引き戻しに利用して、引き戻したあとはさらにこれをネタに誹謗して他の講員どもに叩かせる手はずだったのであった。
思い込ませた内容が繋ぎ止めに必要だったのは、真の行為者が敵宗門であるとわかってしまうと直ちに脱退につながり、しかも引き戻しが難しくなるからであった。従って、当然そのような内容を「書かせる」ことについてあらかじめ敵宗務院は門外漢女の了解を取り付けていたに決まっている訳である。だから傷ついてもいないし傷ついた振りで被害者を装い真の被害者である筆者を「加害者」にスリカエるつもりだったのである、最初から。
そのために敵一味は実際には最下級の雑魚に過ぎない門外漢女を「首謀者」に仕立て上げて真の首謀者を隠蔽していたのである。
そのために利用していたのが、門外漢女の創価学会員との関係性である。が、これはあくまで門外漢女が口先で言っていたに過ぎないものなので、本当に関係があるかは非常に疑わしい。実際にその学会員とやらを見せた訳でもないし、口先だけなら何とでも言えるからだ。つまり、実際にはそのような関係性はなく敵宗門がでっち上げた「ストーリー」を思い込ませるために門外漢女も演技していただけであったというのが現在の最新の推定である。つまり、全ては敵宗務院の指示であるから門外漢女もその指示に従ってほのめかしていたに過ぎないということである。無論門外漢女も私に対しては工作員であったから、敵宗門の指示であれば何でも従う訳であり、うそやほのめかしで私を陥れることなど簡単だったのである。
つまり、この問題のブログは敵一味の戦略上絶対に必要なものであり、内容を吟味されても困るものだった事になる。
吟味されて正しい内容を書かれては奴等はぐうの音も出せなくなるからだ。

齋藤は、ブログで多用されており今でも多用している「敵」という言葉に激しく反応していた。
このことこそが、真実に大きく関わるものであり、「敵=日蓮正宗」という認識に結びつくことを敵宗門は非常に恐れていたのである。そして、それがもはや目前に差し迫っていたのであったのだ。

この迫害行為には最初からいくつかの目的が内包されていたものである。
一つは、云うまでも無く言論弾圧と苦情潰しによって日蓮正宗の悪評が拡散しないようにする工作である。
一つは、これ以上真実の追究が進んでしまうと行為者、つまり敵が日蓮正宗であることがわかってしまい引き戻せなくなるのでそれを押し止めることである。
もう一つは、云うまでも無く引き戻して従前のレールに押し戻し、再洗脳して皆で言いくるめて精神科にぶち込み社会的に抹殺することであった。
私が信頼している界隈では創価学会はオトリ、デコイであるという認識がもはや常識化しているが、当時はまだそこまでたどり着いておらず、そこにたどり着くのを力ずくで妨害しようとしていたのである。
そしてこれら目的が、齋藤の「ブログ辞めろ」「ネット辞めろ」という人権侵害発言に直結していたのである。なお、齋藤は今でも都合の悪い者に対してネット辞めろ的な発言を繰り返しており、苦情潰し・悪評潰しが奴の任務でありいわゆる「こーさくいん」であるということを如実に示している。石之坊が、他の講員にはネットを禁止しておきながら齋藤のそれにはお咎め無しだったというのは奴は特別の目的でそれを認められた、精鋭の工作員であることを意味している。
なお、こいつはブログを持っているが当該のブログをお前のものではないかと問い質したところ「俺のものではない」というウソでたらめで逃げていたことがわかっている。

事件後の経過と執拗な引き戻し策動

事件はかつて無い屈辱的な形で終わったのであるが、引き戻し策動はこれで終わりではなかった。
翌日になると、押しかけにも参加していた法悦院の針谷という輩が単独で突っ込んできた。昨日の結果を受けての引き戻し目的だ。
もう絶対に戻らない旨を告げたが、奴は「鉄道の話しをしよう」などと小手先を変えてきたのだ。私は「鉄道はもうやめた」と告げ、追い返した。当時は破却後再認可もしておらず、正当な対応である。
それを受けて、先の齋藤が凸電をかましてきた。本名が出ていないではないかと。
やはりそれを使って悪評を喧伝し、再起不可能にするつもりだったのだ!
そんなものは出せないと告げ、話を打ち切った。
やはりこいつらは宗務院の命を受けて連携していたということに他ならない。

目的どおりの引き戻しが出来ずに焦る敵宗門は、何と感情操作によって別の寺院でもいいから何とか宗門に引き戻そうと悪逆なる蠢動を開始する。来る日も来る日も感情を操作されて、苦しい日々が続いた。しかし、石之坊・法悦院の両寺院から受けたハラスメントのトラウマは到底誤魔化せるものではなく、また法道院の連中から受けた仕打ちの記憶からも「どこに行っても、また同じになる。」という考え、認識が支配的であったことが、引き戻しを防いだのであった。
すると、今度は法悦院で行われていた悪評の流布についてまたしても「創価」をデコイにした珍説を捩じ込んで必要のない見直しをさせようとしたのである。日に日に真実の追究が進んでいたが、あと一歩のところで「創価はオトリ」の新常識にたどり着けないでいた。

その後、私は脅されて書いた私文書が無効であることを突き止めた。
また、当該の書かされたものは憲法定める基本的人権に反しているや法律の規定に抵触し、無効であることもわかった。
これを受けて、筆者はツイッターでの日蓮正宗批判を再開した。
そして程なく、真の敵が創価ではなく日蓮正宗のほうであることを突き止めた。
最終的には、迫害事件から3ヶ月ほど経った2015年9月22日を一期に宗門からの脱退確定と今後いかなる宗教も認可しないことを決定している。

それから約3ヶ月弱した頃、齋藤がまたしても凸電をかましてきた。
しかし、もはや当時の操縦された状態でもなく真実の追究が進んでいた私に対して、齋藤はあまりにも無力だった。
問答は1時間あまりに亘って続いたが、私が奴の尊大且つ高圧的な態度を非難し、敵宗門とキリスト教の共通性を追及すると返答に詰まって遁走し、自分でかけた電話を一方的に切ったのだった!
勿論このような嫌がらせの凸電は威力業務妨害に該当するので、齋藤は後生を覚悟しておくが良い。

宗門からの脱退は、決定から9ヶ月弱が経ったこの年の9月に確定していたが、その事後手続きは遅々として進まず、押しとどめられたまま年を越すこととなった。

続く