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パントルセレブル年表

失地回復闘争および諸問題の関連年表です。

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前史時代

1970年 東京・板橋に筆者出生。
1979年頃 この頃より得体の知れない感覚に引き込まれるようになる。思考盗聴や各種の精神域介入に向けたテストと思われる。
1981年頃 この頃敵一味によるとみられる電磁波(BMI) 犯罪によるマインドコントロールの影響下に入る。精神域介入が始まり、状況が悪化した。
1983年頃(時期不詳) 実母が当時日蓮正宗の信徒団体だった創価学会に入会。
1984年9月 突如離島への移住の話が持ち上がり、実父を除く4名で移住を余儀なくされる。所謂島流し事件。
1984年10月 海に程近い貸家に移る。
1988年8月 実母が横死。ブルジョア家当主は一家に何の断りもなく勝手に邪宗で葬儀を行う。
1988年9月 ブルジョア家離れに移される。
1988年秋 ブルジョア家当主が一家に無断で仏壇等処分し御本尊を御不敬したと見られる。
1988年暮れ(時期不詳) 創価学会を脱退。実体は成り行きでフェードアウトとなったもの。
1989年3月12日 筆者の高校卒業を機に離島から脱出する。

失地回復プロジェクト以前

1989年3月13日 東京に戻り一家が再び結束。
同年秋 実家家業手伝いとなる。
1990年11月 運送会社アルバイトとなる。
1991年1月 創価学会で反宗門キャンペーンが始まる。
1991年11月28日 創価学会が日蓮正宗より破門される。
1993年9月 就職を果たす。
1994年2月26日 瀬戸事件(当初、池袋2・26事件と云った)が惹起。敵の意向。
1994年7月 瀬戸事件によるガスライティングにより殺されかかる。
1994年8月末 不当解雇される。
1994年9月 解雇されたため会社を移る。
1994年末 瀬戸事件の正犯として瀬戸容疑者を、共同正犯としてT.Y容疑者を永代追放処分。

第一次失地回復プロジェクト~交特協初期

1995年(時期不詳) 第一次失地回復プロジェクトを開始、20世紀中の失地回復を目指す。
同年 ラ・チーカ事件が惹起、蓄財が頓挫する。敵の意向。
同年 埼玉県桶川市に移住。
1998年2月初旬 失職する。実父の命で実家に戻る。
1998年2月13日 一家組織を結成。自主独立・主権回復のたたかいに立ち上がる。
1998年4月30日 昭和時代より前年にいたる諸々の事犯者40名余りに及ぶ大型処分を発表。同時に交特協以前に処断した瀬戸容疑者の追放処分を支持。
1998年5月 非正規の派遣アルバイトとして職に就く。
1999年~2000年 職を転々とする。
2000年10月 正規雇用で就職。
2000年12月27日 インターネットへの参戦を果たす。
2001年早春 第二次失地回復プロジェクトに移行。
2001年4月 交特協杉並事務所を開設し移り住む。
2002年1月 再び非正規雇用に転落。
2003年3月2日 江東区の現場に移る。
2003年8月 大阪遠征の帰途で石之坊講員より折伏される。しかし、これは仕組まれたものであり遠征自体が敵に強要されたものであった。

日蓮正宗入信強要以降

2003年9月 筆者、石之坊で入信させられる。
2004年~2005年春 石之坊講員の女による一連のスキャンダルが惹起。これらについては今日まで謝罪、賠償ともになし。
2005年4月9日 茨城県への移住を強要され、今日までこの不遇の地に幽閉されることとなる。
2005年4月 自動二輪圧殺事件の影響で、故障した原付車が修理されず自宅庭に長期間放置される。この故障は敵の電磁波による攻撃と誘導、更に事前の根回しによる複合事犯である。
2005年夏~秋 筆者の派遣脱出計画を察知した謀略団体によって後に大きな禍根を残すことになる、通称SG現場に誘導される。完全な敵の意向。
2005年秋 筆者が公開で木村を問い詰めるも失敗。以後に大きな禍根を残すこととなる。
2007年5月 石之坊の支部総会において受付の女による恐喝事件が惹起。木村も受付に同席。このとき、筆者はバス代として残していた金銭を掠め取られ、しかも誰も送迎せず富士宮駅まで2時間半歩かされる事態に。敵の意向。
2008年7月 石の湯事件が惹起、O氏が講頭を解任される。後に石之坊支部を追われる。
2009年初秋 第一次解放聖戦開始。初期の戦闘においてSG現場からの脱出と関係者の粛清を果たす。通称・大粛清。
2009年9月9日 上記により前日限りでSG現場より決別したことにより、SGがらみの軋轢からの解放を果たす。
2009年9月13日 石之坊において筆者が新入講員に喧嘩を売られる。今日に至るまで謝罪なし。
2009年秋 この頃、庭に放置されていた原付車を車庫として整備したスペースに移動する。
2009年11月上旬 石之坊講員による日払い労働強要事件が惹起。筆者は既に社会保障制度の活用に動いており実害は無し。
2009年11月下旬 社会保障制度の活用による生活再生が動き出すが、敵は秘密裏に新たな策謀を練っていた。
2009年12月9日頃 自動二輪圧殺事件の全貌が発覚する。しかし、これは敵による意図的発覚であり内容自体が虚偽であった。
2010年4月初旬 惹起時件の解明と脱退を求め筆者がようやく立ち上がる。しかし講頭・山崎は考えられないような暴言を以って筆者を侮辱し、横山を全面的に擁護。
2010年4月10日 筆者が石之坊に乗り込み、問題の追及を求めるも横山は来ず。結局この日を最後に筆者は石之坊を脱退した。第一次解放聖戦終結。

第一次解放聖戦終結以降

2010年5月2日 停滞したまま機能停止していた第二次失地回復プロジェクトを破棄し、第三次失地回復プロジェクトが始動。
2010年春(時期不詳) 自動二輪計画の復活が決定。
2010年5月7日 横山らに対する責任追及の打ち切りを決議する。横山らを永代追放。
2010年6月23日 放置されていた原付車が修復され、5年2ヶ月ぶりに運行再開。
2010年8月1日頃 180を越える高血圧とそれによる諸症状により療養を余儀なくされる。後に電磁波犯罪による操作と誘導が原因と断定する。
2010年11月4日 生活保護を申請、後にこの日を適用開始日として保護が認められ受給する。
2011年3月11日 東日本大震災により被災する。
2011年3月中旬 1年半ぶりに就業を果たす。正規雇用。
2011年5月 自動二輪計画の実施を閣議決定。
2011年3月~7月 反消費主義を導入する。以後の一家は「革命一家」と称しそれ以前とは峻別する。
2012年1月 第四次失地回復プロジェクトを始動。
2012年6月22日 これまで使ってきた原付車を下取りのため廃車回送。
同日 テロによる事故に巻き込まれる。全治3ヶ月。代車が大破。
2012年8月30日 何者かが送り込んだ新たな刺客を用いた紛争事件が惹起。後に刺客への洗脳操作を含む電磁波犯罪と断定する。
2012年10月21日 一家組織を組織統廃合により失地回復プロジェクト実行委員会と称する。
2012年11月中旬 偶然たどり着いたサイトにより電磁波犯罪の被害が発覚する。
2012年11月下旬 刷り込まれたものの粛清が開始される。
2012年11月28日 実行委員会、SGにおける人物破壊工作の実行犯として長江容疑者を永代追放処分に付す。
2012年12月9日 事件から4ヶ月ぶりに御講参詣、信心活動に復帰を果たす。
2013年3月 所謂島流し時代のガスライティングが判明し、元同級生の男3名の粛清が行われる。
2013年4月 この頃より敵により行き倒れ策動が進行する。
2013年4月17日 電磁波攻撃による強制睡眠により危機発生す。
2013年4月18日 これまでの経緯の殆どに謀略団体が関わり、主に電磁波犯罪によるマインドコントロールにより、実地による手口も併用してこれらを主導していたと断定する。

第五次プロジェクト開始以降

2013年5月 第五次失地回復プロジェクトを事実上開始。
同月 90年代にも電磁波ガスライティングの被害を受けていたことが判明する。
2013年6月 実行委員会の調査で、90年代の電磁波ガスライティングと04年以降のそれが同一のものであり、断絶することなく今日まで続けられていたと判明。瀬戸事件についても背景に首謀グループによる謀略があったとみている。
2013年8月初旬 調査で電磁波ガスライティングは80年代初頭から今日まで断絶することなく続けられており、79年頃にはすでに精神域への介入が認められると判明。また、人格破壊工作が数段階にわたり精神域介入によって行われていたと断定。
2013年8月7日 中学時代に交際関係にあった元女子生徒について、不当交際行為とガスライティング違反の疑いでこの元女子生徒を破門する方針を固める。3日後の8月10日に破門。
2013年9月2日 自動二輪が敵の刷り込みと吹聴、誘導による一大策謀であることが発覚。「バイク」の放棄が決定。

バイク放棄以降

2013年9月7日 入信させられた忌まわしき日であるこの日より、敵寺院側が講員の女をけしかけて寺ぐるみで交際類似事犯を惹き起こし筆者を罠にはめる。後年、筆者の追及に対して幹部は全く的を得ないまやかしの言い逃れに終始した。
2013年9月9日 自動二輪車を売却。
2013年9月中旬 この頃より腎臓疾患の進行による自覚症状が現れ始める。この腎臓疾患は敵一味が腎臓を悪化させる薬によって仕組んだ罠だった。
2013年9月21日 定期診察で腎臓疾患の進行により透析が必要と診断され入院。その後週3回の透析を開始。
2013年9月26日 シャント生成術のため手術を受ける。
2013年10月2日 ブログ移転と二輪記事削除の方針を決定。
2013年10月12日 退院し、通院透析療養に切り替わる。
2014年5月 看護師の女による交際事犯が発生。病院側は犯人を全面的に擁護、不当に転院を強要される。以後、当家では医療関係者・従事者との交際は禁制である。
2014年7月 遅まきながら真実追究への動きが始まる。当サイトの原型となるサイトを立ち上げ。

聖域なき見直し以降

2014年8月 筆者の生活を取り巻くあらゆる事象に対して見直しを行う、「聖域なき見直し」を開始。当家ではこれを第二次解放聖戦の開戦としている。
2014年11月 見直しを続けた結果、鉄道趣味が敵対勢力によって真実追究をスピンする目的で焚き付けられたものであったと断定、鉄道趣味を非合法化しサイトを削除、模型、グッズを処分する。
2015年1月 見直しの結果、宗教からの決別を決断。同月10日、日蓮正宗より脱退。

日蓮正宗脱退以降

2015年4月 地元だった路線に限定した鉄道趣味活動の限定免許を交付。
2015年6月 石之坊講員と法悦院講員が徒党を組み、筆者宅に押しかける。更に、脅迫によってブログの削除を強要される。
2015年9月 宗派離脱を確定。同時にあらゆる種類のあらゆる宗派が禁制となる。
2015年12月 日蓮正宗僧侶と思しき大柄な男が押し掛けてくる。威迫目的と思われる。
同月 サイトが現在の名称である「パントルセレブルの館」に改称される。
2016年2月 離脱に伴う事後処理が行われ、以後一家は日蓮正宗とは無関係となる。
2016年3月 敵幹部に押し付けられていた、場内整備の妨げになるような仏壇を処分し、場内整備を行い生活環境を整える。
2016年4月 鉄道趣味に限定しない趣味ごと全般に対する総合規制に移行し、鉄道趣味については本当にしたい活動が幾らもできていなかったことに考慮し、当家にゆかりのある路線に限定した限定免許を交付。ただし、経済状況が悪い時には活動を差し止める条件付の免許である。
2016年8月 日蓮正宗僧侶と思しき大柄な男が再度、押し掛けてくる。威迫目的と思われる。
2016年10月 法悦講員と思しき若い男が押し掛けてくる。威迫目的と見られる。
2017年1月 日蓮正宗の現役所属者を一律に追放扱いとすることで取り扱いを統一する。
2017年2月 2014年の鉄道趣味破却について、敵一味による捩じ込みとされる証拠は終に見つからず、またそれ自体が悪いのではなく敵一味によって利用されたことが問題の原因であり、破却は不適当であるが当時の情勢では他に煽りとハタカセを封じる手段が無く、やむを得ないもので追認せざるを得ないという公式見解にいたる。今後も厳しい条件を付した下での限定認可を継続する方針を確認。
同月 総ては敵一味たる宗創医連合軍が100%且つ一方的に悪いものであり、これまでの諸問題は敵一味が悪事追及の矛先を逃れんとしたがためのデコイであり、他のもののせいにさせて矛先を不当に逃れていたものであると断じた。
2017年3月現在、引き続き第二次解放聖戦の最中にあり真の解放を目指した戦いが続いている。したがって、現在当家は戦時体制である。

凡例
SG…SG現場(台東区に所在)

この年表は随時更新します。

最終更新 2017年3月

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