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第一次解放聖戦について

概要

第一次解放聖戦(だいいちじかいほうせいせん)とは、2009年8月から2010年4月にかけて筆者が戦った一大戦争である。筆者の属していた全ての世界を跨いだ唯一の大戦でもある。この聖戦によって、SG現場(台東区に所在)からの解放を果たし、後に石之坊と決別したことにより門外漢一味からの解放を果たし隷属の鎖を完全に断ち切った。
この解放聖戦を戦ったことによる新たな負債が発生し失地回復にとって一大問題となっている。

経過

開戦

2009年8月24日頃、仕方なく続けていた仕事が行き詰った。何ヶ月も前のことで不当クレームを突きつけられ、始末書を要求されたことによる。
ここに至り、遂にSG現場との決別を決断するに至る。

大粛清

筆者はこのSG現場において多くの軋轢を抱え、精神的に大変な負荷を感じていた。しかしながら、洗脳装置で頭を押さえられていた為動くことが出来なかったところに前記の出来事が降って湧いたのであった。前記の不当クレーム、並びに始末書の要求という極めて理不尽なものを呑むことが出来なかったことにより筆者はSG現場を去るとともにそれに絡む全てを断ち切る決意を固めた。
筆者は決断したその日に最短の日取りで退職届を出した。後に3連休を利用して密かに退職後に使う携帯電話をつくり、SG以外の重要な連絡をそこに集約した。
退職に際し、筆者はSG現場の者に二つのことを約束させた。
それは、どの取引先にも当日まで筆者の退職を明かさないこと、そしてとある取引先の女には絶対に口外するなということであった。
そして、退職のその日まで筆者は何事も無いかのように淡々と業務を行い、粛々と日付を進めていったのである。
2009年9月8日19時20分、最後の仕事を終えた筆者はSG現場を足早に去った。これによりSG現場の者、および関連するしがらみを全て葬り去り粛清した。
この、解放聖戦初期の戦闘を大粛清という。

戦局の拡大

当初、大粛清以上の戦闘は筆者の想定に無かった。信心中心の生活に転換することが目的であり(これは当時洗脳されていたことによるもので、筆者の本意では無い)、この時点では石之坊からの決別は考えられていなかったからである。
しかし、先の大粛清、SG現場からの脱出が敵対勢力にとっては大いに想定外であった。折角縛り付けておいたバイク通勤できない非正規の現場・SG現場から筆者を逃すことになるとは思っていなかったからである。狼狽した敵対勢力は門外漢女をして新入講員による親衛隊を急造し、2009年9月13日の御講に際して石之坊の玄関前に配置して筆者を威嚇させたのであった。これにより戦局は石之坊にまで拡大した。
その後、敵対勢力のBMI犯罪によって洗脳が強化され筆者の生活再生への動きを封じた。本来であれば当月中には動き出さねばならない求職活動を出来ないようにされたことによって生活が行き詰まり、筆者は生活保護を思いついた。しかし狡猾な役人によって申請すらさせてもらえず、筆者は公的融資に回される。これも敵対勢力の根回しによるものであるといわれている。
公的融資を待っている間に、石之坊の大塚という男が電話で「日払いで働け」と迫ってきた。すでに生活再生への段取りを取っていた筆者はこれに紛動されることは無かったが、これがきっかけで石之坊には参詣しなくなった。

壮大なる計略の発覚

公的融資が始まり、筆者は生活再生に向けて動き出した。筆者は、年内を休養に当て、年明けから求職に動き出すことにしていた。
そんなある日、刷り込まれた行動のせいで筆者はある撮影にいけなくなった。これがきっかけで、自動二輪計画の圧殺(の演出)が発覚した。だが、このときの内容は敵側が捏造したものであり、敵がその正体を隠し門外漢女に責任の全てを押し付けるためにBMIで虚偽の内容を流して思い込ませたものであった。
筆者は生活の再生を目標にしていたが、敵は洗脳装置を擁しているだけに汚いやり方で筆者の生活再生を封じたのであった。生活再生の目的を活動を取り戻すことにすり替え、一方では求職の目標をとんでもなく高いレベルに吊り上げて筆者の就業を妨害したのである。また、筆者の劣等感を徒に増幅する為の謀りが行われた。
敵はどこまでも人の心を踏みにじり、そして狂わせることに余念が無かったのだ。
しかしながら、それによって却って筆者の不満が爆発することになる。

石之坊との決別

不満が募っていた筆者は突き動かされるように最終決戦に動き出す。
決めたことは二つ―
一つは、石之坊から脱退すること。
もう一つは、その前に門外漢女や講頭に復帰した山崎を徹底的に追及することであった。
かくして筆者は石之坊講頭・山崎に会談を要求するとともに門外漢女の悪行を指弾した。
しかし、山崎は門外漢女を全面的に擁護するとともにやった事に対する賠償すら否定し門外漢女べったりの暴言でこれに応えたのである。
いずれにせよ、2010年4月10日10時に会談が持たれる事となり、除名覚悟の最終決戦が戦われることとなった。
しかし、結論は最初から出ていた。
石之坊側は、横山を一方的に擁護するという暴挙に出た。更に、私を地元の寺院に飛ばす事まで決まっていたのである。それは正しく門外漢女の意向通りに脱退理由をすり替えるがための決定だったのである。
決戦の場に、門外漢女は来なかった。真っ正面から勝負を挑まれる事を避けて遁走したのである。
かくして言論は封殺され、結論だけが押し付けられた。
こうして手元には一枚の紙切れが残り、筆者は石之坊から粛清されたのであった。
これによって筆者は石之坊から脱退し、解放聖戦は終結した。

成果と問題

成果

この解放聖戦により、筆者は当時のあらゆる隷属からの解放を果たしている。この解放は生活の再生に大きな意味を持っている。
石之坊一派も、SGの千ラシ裏集団も不倶戴天の敵でありそれらとの共存は未来永劫に不可能だからである。
敵はこの解放聖戦の後も洗脳装置を擁して筆者を苦しめ続けたが、にも拘らず筆者は生活の再生と反消費主義革命を果たし、門外漢らの奸計は完全に崩壊した。その後、電磁波犯罪と洗脳装置の存在が明らかになり、敵が構えた幻想の類は全て崩壊している。

問題

敵対勢力が手を回したことにより押し付けられた公的融資の返済が現在も一家にとって大きな負担となっておりその克服が大きな課題となっている。また、洗脳装置の事があるとはいえ生活の再生を果たすまでに想定外の期間を費やしたことが大きな問題となっている。これらは失地回復を妨げることがその大きな目的にあると云われており、これらの克服が切望されている。
また、石之坊脱退の時点で宗門からの脱退まで決断できなかったことがその後の不幸や軋轢に繋がっており、離壇させないための悪辣な洗脳手口が問題となっている。除名覚悟だったのだから、その時点で離壇という選択肢が無かった訳ではない。離壇されては困るのがオール鶴丸グループ&医療利権サイドの総意であり、そのために洗脳装置によって離壇を妨害されたものであったと解するべきである。
鶴丸グループの四宗派、日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会は実は一体であり、宗教という狭い井戸の中でそれぞれ与えられた役割を演じているに過ぎない。
これら宗派は全て支配勢力の手先であり、当然医療利権とも相互の利権利益のために繋がっているのである。

その後

その後、後年になって石之坊で惹き起こされたあらゆる事件は単なる横山の個人的暴走ではなく、寺院ぐるみでつまり石之坊サイド自体が全てグルとなって惹き起こされたものであり、しいては宗門更に鶴丸グループの宗派も医療利権もグルであり、当初から人物破壊工作の目的で石之坊に誘導し、あらゆる工作もこれら勢力がグルとなって行われたものであると判明した。
これら勢力が全て支配勢力の傀儡であり手先である実態が問題となったこと、現証の面からの疑問もあり、本件終結より5年を経た2015年1月10日を以って筆者は日蓮正宗から脱退し、本来の無宗教者に戻った。その後、2016年2月に事後処理の手続き等を敢行し、筆者は以後日蓮正宗とは無関係となっている。

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