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失地回復闘争について

概要

主権回復闘争とは、人権と思想そして人間の聖域ともいえる精神域に対する不当な侵害やガスライティングに対する戦いの総称である。

歴史

前史

1960年代半ばに山口から上京してきた先代当主(実父)と市川市出身の実母の間に1970年に生まれた(生年月日非公表)のが筆者である。
14歳まで東京で過ごしていたが不遇な境涯に生まれたこともあってそれほどいい想い出は無かったがそれなりの日々を過ごしていたが、実母の奔放に過ぎる性格が災いして一家は貧困にあえいでいた。
しかし、1979年頃から精神域への介入が始まり、思考盗聴の後81年頃から精神域介入、遠隔洗脳操作による攻撃が始まっていたのである。
そんなある日、突然とある離島への移住の話が実母によって一方的に決定された。
これは、既に創価学会員であった実母が何者かに言いくるめられて決定したものであり、人格破壊のための謀略の一部だったのである。
筆者は激しく抗議したが実らず、実父を除いた4名で離島へ移住する事となった。この移住は直接的には実父と敵対するブルジョア一家(この離島に在住)の策謀によるものだったが、何らかの理由で筆者をターゲットに選定していた敵対勢力がこの策謀を裏で手引きしていたものであった。

島流しの日々

都会育ちの筆者にとって離島のムラ社会は極めて異質なものだった。当然になじむことが出来ずさらにブルジョア一家が手を回し、更に精神域介入(BMI犯罪)との併用で行われたガスライティングによって筆者は苦しめられた。
結局島流しの日々は4年半の長きに亘り、これによって全ての縁が悉く破壊された。なお、ブルジョア家の家長と結託して一家を移住させ横暴の限りを尽くした実母は1988年8月に42歳の若さで他界する。悪事加担に対して恐るべき因果は厳然と現れたのであった。
1989年3月12日、一家はようやく島を離れる事となった。

失地回復闘争初期

島流しの日々は終わり、一家は東京に戻った。1989年3月13日に故郷での暮らしが始まり、同時に失地回復への闘争が始まった。しかしその後の失地回復は巧く行かず、敵対勢力の策謀、遠隔洗脳操作(BMI犯罪)の影響もあって結局そのまま底辺をさまようことになった。その後瀬戸事件を契機に経済的回復を優先する事となり、1995年に第一次失地回復プロジェクトを開始。しかしラ・チーカ事件などの影響が徐々に顕在化し、1998年年頭に失職する。

失地回復闘争の本格化

1998年2月13日、失地回復闘争を本格化。懸命の努力を続けるが、奮闘むなしく20世紀中の「失地回復」は達成されぬまま、砂の城と消え去った。これは敵対勢力の正体が隠蔽されたまま戦うべき相手が見えなかった(敵が見させなかった)ことが大きな原因であった。敵一味は遠隔洗脳操作によって「女ども」をデコイにしてそこに矛先を向けさせ、そこを叩かせることによってその正体が見えないようにして後に予定していた宗門への引きずり込み策動を妨げられないようにしていたのである。
しかし、20世紀の終わり間近にもたらされたインターネット環境が再び「失地回復」の機運をもたらすこととなり、2001年に「第二次失地回復プロジェクト」を結成。目標をひとつに絞り、2010年までの失地回復を目指すこととなった。

鉄道趣味の焚き付け、宗教への誘導

2001年、筆者は勤務のために杉並に移住した。しかし、ここで敵対勢力は主にBMI遠隔洗脳操作犯罪の手口を以って悪辣な策謀を多数、仕掛けてきたのである。
インターネット参戦前に、敵はBMI、遠隔洗脳操作の手口によって筆者をいったん目的の宗教とは違う宗教(神道)に誘導し、その上で不快な事件、トラブル等を人為的に演出して誘導への環境整備を始めていた。
2001年3月、敵対勢力はその時点でどうでもよくなっていた鉄道趣味を遠隔洗脳操作によって焚き付け、真実の追究からスピンさせられてしまった。更に敵は、入信工作のための環境整備として父子関係を一時的に断絶させる工作を行い、入信への障壁を取り除いてしまった。更に、同年末には誘導先宗教の形式(五座三座)にそぐわない当時の生活スタイル(タクシー乗務員)を破壊するべく派遣への転落を強要した。
こうして都合よく環境整備を進めた敵対勢力は、2003年夏、何らかの理由で石之坊への誘導を決定。何がしかの手段で石之坊講員の参詣計画を知り得た敵側はこれに合わせてBMIの手口で関西への旅行を強要し、これに引き合わせてしまった。結果、9月に石之坊で入信させられることとなり、真実の追究からは程遠い状況に追い込まれてしまった。更に敵対勢力は、鉄道趣味を利用して筆者を自分たちに都合のよい地域へ誘導することを画策し、2005年に茨城への移住を強要される。
この誘導は、さまざまな口実を捩じ込んで行われ、更に当時の居住地に残るという選択肢が取れないような状況にさせられた上で行われた。

三本柱の化城

敵は、これらの誘導が完成した後遠隔洗脳操作によるマインドコントロールによって幻想の化城を生成し、巧妙なマインドコントロールで誘導し信行を停滞させた。この化城は三本の柱とその上に載る大きな思い違いの産物(これも敵が生成した)からなる。
三本の柱とは、「バイク」「リクガ」「商業化」であり、そのすべてを司ると云っても過言でもない「司令塔」が、「自由の闘士気取り」である。
「商業化」とは、趣味の一環として行われていた鉄道写真を商業化するという、今にしてみれば信じ難いものである。
「リクガ」とは就活生、特に四大卒見込みの女子大生のこと。筆者の境涯ではどう考えても到底出会うようなことの無い存在であり、マインドコントロールによる捩じ込み以外には有り得ない。
「バイク」は云うまでもなく自動二輪車のこと。筆者は元々クルマに乗っていた人間で、1997年に当時乗っていた乗用車を失った後にその復活を妨げる目的で敵が捩じ込んだものであった。また、その推進(クルマ復活の阻止と捩じ込みの発覚防止)のために「クルマは金食い虫」という内容の吹聴を繰り返し行っていた。
そして、これだけのものを敵自ら捩じ込んでおいて、そこに適度に(柱としているものを抛たない程度に)迫害を加えることによってブーメラン効果を発揮させ、ますますそれらにのめり込むように、そして自由の闘士気取りをさせるように仕向けたのである。

SG現場と第一次解放聖戦

遠隔洗脳操作および敵対勢力の策謀により2005年に通称SG現場(台東区に所在)に誘導され、この現場で通称・千ラシ裏女によるソーシャルエンジニアリングに続いて現場の者による人的ガスライティングが行われるようになった。しかし、そこから脱出できないように仕向けられた筆者は一時絶望的な破滅状態にまで追い込まれた。
しかし、僅かに残っていた道念が筆者を立ち上がらせた。
2009年8月23日頃、SG現場からの勇気ある撤退を決意。初期の戦闘でSG現場からの解放を果たし千ラシ裏集団、その他SG現場関係者を粛清(大粛清)。これ以上の戦闘は想定に無かったが、戦局は石之坊にまで飛び火し、9月13日に親衛隊事件が惹起。戦局は筆者の属する世界全てを跨ぐ事となった。
結局筆者は翌年4月10日に石之坊から不当に粛清されたため、この日を以って石之坊を脱退し第一次解放聖戦は終結した。

第一次解放聖戦終結後

解放聖戦終結後、筆者は地元寺院で再入信させられる。停滞したまま機能停止していた第二次失地回復プロジェクトを破棄し、新たに第三次プロジェクトに移行。しかし、門外漢一派を隠れ蓑にした敵対勢力の電磁波部隊がBMI攻撃を激化させ、生活の再生を不当に押し止められた上突然の大病で療養を余儀なくされた。しかし、生活保護を受ける事となり生活再生が動き出し翌年3月に1年半ぶりに就業を果たす。
就業の直前に発生した東日本大震災の影響を受けて停滞を見るが、次第に回復が進み、その後興った反消費主義の導入が奏功し一定の成果を見て第四次プロジェクトに発展的移行。2012年4月、1年半ぶりに自立を果たした。
しかし、これを快く思わない電磁波部隊の遠隔洗脳操作策謀で事故に巻き込まれ、3ヶ月の休養を余儀なくされる。さらに復帰を間近に8月30日事件が惹起。寺院内での地位はこれを契機に大きく揺らぐこととなった。既にこの頃に、本山の工作員が法悦院に出入りしており、この者による風評の吹聴が行われ、筆者は次第に寺院内で孤立してゆく。

遠隔洗脳操作発覚後

第四次プロジェクトによって生活の再生を果たした革命一家であるが、その先には驚愕の事実と更なる攻撃が待ち受けていた。敵は、行き倒れ策動を進めるとともに三本柱の中でただ一本残っていた「バイク」を極大化させ、金員を徹底的にはたかせなお且つ機材の拡充などは一切行わせないという大変悪辣なマインドコントロールを行い行動を大いに狂わせたのである。これは、多額の賠償金を筆者が得たことに対して脅威を感じた敵対勢力が筆者を茨城の地から逃さないことを目的として行われた。更に敵は、筆者を診察からドロップアウトさせ、症状の悪化を察知されないようにして必要な段取りを取らせないように仕組んだ。
9月の初め、ついに「バイク」が敵の都合によって刷り込まれたものであることを見抜いた筆者は、同時に「失地回復」も敵が正体の隠蔽のために刷り込んだものであると断じた。その直後、体調が急変し、さまざまな症状が現れるようになった。結局筆者は9月21日の診察で医師から生命の危機にあると知らされた。3年前に悪くしていた腎臓がさらに悪化し、透析が必要なまでになっていたのであった。
筆者は透析導入のための措置と手術を受け、病院においてシャントによる血液透析を開始し、二週間入院の後退院したが10月17日、身体障害者第一級の認定を受けることとなっている。
この病院で、重大な交際事犯が惹起。しかし、病院側は犯人の看護師を擁護したばかりか筆者を一方的に悪者扱いし、不当に追い出したのである。

聖域なき見直し

このような状況となっていた2014年、ネット上での戦闘の終結を端緒として真実の追究が急ピッチで進むようになる。そのような最中で、筆者の生活を取り巻くあらゆる要素を見直す「聖域なき見直し」を行うこととした。この見直しの中で、まず鉄道趣味が大きな問題となり、ここで初めて敵によって焚き付けられたものであると認定。2014年11月15日に認可を取り消し、非合法化した。
この「聖域なき見直し」においては、2003年以来やらされていた宗教も、一向に成果が無いという「現証」の面から疑問視され、見直しの対象とした。しかし、この見直しは敵の意向に真っ向から逆らうものであった。故に見直しは難航したが、紆余曲折があったものの2015年1月になって宗派からの離脱を決断。同10日に、それまで継続していた宗教活動を打ち切り、一家は宗門から離脱した。

宗派離脱後

2015年1月10日に宗門から脱退した一家では、離脱の手続に入った。しかし、離脱の正式な手続をされることは信徒としての立場ではなくなり統制外となることを意味するゆえ、宗門側は汚い手段でこれを捩じ曲げる工作を行った。つまり、遠隔洗脳操作によって行動を改変し、通常は「末寺に」「郵送で」行うべき離脱通告を、「本山に」「持参で」行うように行動を改変したのである。謂うまでも無く本山は敵の本丸であり、狡猾巧妙なテクニックを持つ宗務役僧が待ち構えている場所であり、案の定宗務院の役僧は巧妙なテクニックで脱退要求を受け取らず、私を別の寺(法道院)へ誘導しようとしたのである。
しかし、私が真実を追及する姿勢を見せるとその誘導先の信徒が突っかかってきて紛争になり、最終的にブロックするという出来事があり、その後当該の寺もきわめて不誠実な態度で私の断りの電話もまともに受け付けないという事件が起きた。断りの電話にまともに受け答えしなかったのは、まともに受けると宗門に戻らないこと、離脱を承認したと受け取られると判断したためであろう。
この不誠実事件から2ヵ月後、忌まわしい事件が惹起する。
寺院をまたいだ石之坊・法悦院の男子部信徒数名(少なくとも4名以上)が、当家本部に不当に押し掛けてきたのだ。
通常であれば、ブログやサイトについての問題や苦情には窓口としてメールフォームを設けているのであるが、宗門信徒はこのメールフォームを無視し、わざわざ法悦院から居場所を聞き出して(個人情報リテラシー違反)、徒党を組んで押し掛けてきたのである。しかも、敵宗門はここで汚い手段、つまり遠隔洗脳操作を発動して感情操作をして取ってはならないほうの対応に行動を改変したのである。
敵工作員はコールバック商法の応用で電話番号を書いたチンケな紙を入れてきた。これは法的拘束力が無く、相手にしないで放っておけばそれで終わる話だった。
しかし、敵の遠隔洗脳操作がそれをさせなかったのだ。結果、最悪の対応をさせられて相手に電話番号を自動的に教える結果となってしまったのであった。
しかも、インターホン越しに追い返せばよかったものをドアを開けての応対までさせられ、結果屈辱的なものを受け入れさせられるという結果にまでなった。しかし、問題のブログ以外の閉鎖には応じず、本名で書けという要求にも応じずに私は通した。
その後、問題の男が偽名を使っていたことが判明し、この取り決めが法的に無効であることを確認した上で、宗門批判を再開。後年、問題の男がウソでたらめを使って私を脅していたことが判明し、宗務院録事でも確認されている。
すると、敵は例の遠隔洗脳操作の手口で、しかも自分たちが行っていた離間工作や風評工作を意図的に、しかもそれを「創価学会が」やったと偽って発覚させ、宗門に引き戻そうとしたのだ。更に感情操作なども発動して敵は引き戻しを謀ったが、終にそれらには応じることは無かった。
それ以前の問題として、当家は宗門工作員による迫害行為や法悦講員の「今までのことは水に流せ」という強要発言などを問題視しており、かくして15年9月22日に、当家は宗派からの離脱確定を正式に決定した。

宗派離脱確定後

宗派離脱確定後、当家は敵宗門の謀略などの影響によって荒廃した生活環境の立て直しに力を入れる事となり、設備の補充や老朽化した設備の更新、及び環境整備のための導入などに力を入れた。
並行して、押し止められていた宗派離脱の通告と事後処理が動き出し、2016年2月に通告と宗門書物の処分が行われ、3月には懸案であった講幹部に押し付けられ場内整備の大きな障害となっていた古い仏壇を処分し、残滓が一掃された。
問題の工作員の男は再三電話による突撃によって威迫を仕掛けてきたが、私が宗門がキリスト教的価値観をいくつも受け入れていることを指摘すると返答に詰まり、逃走した。その直後に当家は問題の男をロックアウトし、その後抜本的対策によって法華講が電話で突撃出来ないように施したため、引き戻しは不可能となった。
なお、趣味問題については鉄道趣味だけの問題ではなく、如何なる趣味ごとであっても煽りやハタカセの対象になり得ると判明したことから趣味ごと全体に対する総合規制に移行し、その活動自体が敵によって規定され強要されてきたものであったこと、本当にしたかったことは幾らもできていなかったことに配慮して当家にゆかりのある鉄道路線に限定した限定免許を発し、敵の誘導したものについては逆に全面的に禁じて現在に至る。

現在

現在も宗門を首魁とする敵一味・宗創医連合軍は遠隔洗脳操作によって当家行政に不当に介入し、なお且つ風評工作、裏での根回し、収入妨害や嫌がらせなど執拗且つ熾烈な妨害を続けている。これに対して当家は公式チャンネルでこれら行為を直ちに中止するよう警告しているが、宗門はこれを無視して妨害や嫌がらせを続けている。
しかし、当家は宗教問題についての真実を把握している以上戻るなどということは皆目あり得ず、引き戻しのための策動に対しては断固たる態度を以って戦うとともに宗教禍によって失われた信頼の回復に努めており、必ずや解放を勝ち取るとともに屈辱の地からの移住を果たす方針で解放聖戦闘争を貫徹している。

主権回復闘争における諸問題

社会的地位の逸失問題

島流し事件や遠隔洗脳操作犯罪などの影響により本来得られるべき社会的地位が得られなかったばかりか金銭的にも苦しめられたことから未だに一部からは蔑まれている。

交際問題

瀬戸事件やラ・チーカ事件、門外漢・千ラシ裏問題、柏原事件など交際類似行為や不当交際行為による事件が多発し失地回復の足を引っ張ってきた。98年の交特協発足からしばらくは交際事犯が収まったが、門外漢女の出現以降悪質な交際事犯が後を絶たない。かかる交際事犯に対して革命一家では原則、永代追放とする厳しい姿勢で臨んでいる。

金銭的問題

革命一家に圧倒的に足りないのはお金である。数々の事件の影響により蓄財は頓挫し、そのまま底辺をさまよった事もあって今なお経済的に苦戦を強いられている。

負債問題

負債問題に付いては2009年までに概ね整理が終わっていたが、同年勃発の解放聖戦を戦ったことによる新たな負債が発生し問題となっている。

洗脳禍問題

敵対勢力のBMI遠隔洗脳操作犯罪に加え、敵の誘導した宗教に長年囚われ続けたことによる洗脳の爪あとが深く、またその影響で逸失した交際など被害の大きさが問題になっている。一家では、2015年9月を一期として宗教を全面的に禁止している。

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