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自動車利権について~クルマから離れよ!

私はかねてからクルマ社会、自動車利権というものに疑問を抱いている。
以前にも旧ブログにおいて投稿「収奪装置」の中でその構造について指摘してきた。
そこで私は、「クルマは絶対必要」という刷り込みが何重にもされていることについて指摘をした。

単刀直入に云えば、クルマ利権とは支配者利権であり、「二重の社会主義」支配構造の構成支配者全てに利益のある利権なのである。つまり、二重の社会主義支配構造の頂点は偽天皇だから、クルマ社会は天皇命令ということになる。勿論公共交通の衰退も天皇命令であろう。
偽陰謀論者が云うような「アメリカ命令」では断じてない。あれは偽天皇利権に気付かせないために「天皇」を「アメリカ」にスリカエて云っているものだから騙されてはならない。
勿論二重の社会主義支配構造の全ての構成支配者に利益があるということは自動車メーカーもその中に含まれているし煽り雑誌である自動車誌の出版社も利権から利益を得ているということになる。
煽りの構造としては、利権に与る偽天皇や官僚そして自動車メーカー等の企業の命令でマスゴミや煽り雑誌などのメディアがスリコミや煽りを行い、「クルマは絶対に必要なもの」「クルマがないと女に相手にされない」という思い込みをさせていることになる。
なかんずく偽天皇と自動車メーカーがこの利権の中心であり莫大な利益を貪っているということになる。そのために「クルマは絶対必要」という刷り込みが何重にもされていることに気付いてクルマから離れてほしいわけである。

クルマとはそれ自体が利権の塊であり、クルマを持つ、クルマを使うごとに利権による収奪を受ける構造になっている。
ガソリンには多額の税が課せられていて、毎年自動車税で収奪され、2年ないし3年ごとに車検でもカネを収奪される。自宅を所有してなければ駐車場代でもカネを取られる。その負担は年々相対的に重くなっており、特に地方在住民にとって大きな負担となって重くのしかかっていて、地方衰退の大きな原因にまでなっている。
更に免許を取るのに教習所利権でもカネを収奪されており、教習所も天下り先の一つになっている。
車検も利権装置になっており、車検業者と重量税で役人の利権にもなっている。
しかもその間隔が不当に短いことが問題であり、更に13年を過ぎたクルマに不当に税金を加重して買い換えさせようと圧力をかけていることも大きな問題である。
さらにはここに来て軽自動車税の大幅増税で軽自動車やバイクに対する負担を増していることが大きな問題であるが、偽陰謀論者はこれらの利権や問題には一切触れていない。

クルマ利権は商店街潰し、個人商店潰しのNWOにも深い関わりがある。
モータリゼーションが支配層方針であり、クルマ社会化を推し進めているのがNWO勢力なのだから当然である。
つまりクルマでないと行けないようなところに大型のショッピングセンターを作って買い物客を奪うようなことがこれに該当する。
モータリゼーションは差別構造の助長にもつながる。
つまりクルマを持てる者と持てない者の格差を作り出し増長しているのである。
そこにブームを作り出し、「乗り遅れるな」とするバンドワゴン型情報操作が加わり、これに載せられて乗り遅れるまいとする愚民が背伸びしてしがみつこうとする。こうして格差と競争、そして持てない者に対する差別が助長されるのである。
先に云ったとおり、クルマを持つことは大きな経済的負担を意味する。このため車社会にしがみつこうとする愚民はそのために生活レベルを大きく落としていることになる。

「収奪装置」でも書いたように、車が小さくなったり、クルマを手放されたり、二輪に流れる事は収奪装置の主である偽天皇、企業支配層、給料泥棒官僚どもにとって都合が悪いのでメディアによって煽りが入って阻止しようとしているのである。

メディアスレーブはメディアの刷り込んだもの、流し込んだものを疑いもせずに受容しているが、そこから全てが狂っているという事を知ってほしいのである。
刷り込みのフィルターが取れて、自分の生活に何が必要か見つめ直せば本当に必要なのかが解るのだろう。そうすれば本当に必要なものなど幾らもないことが自ずとわかるはずである。わからないのは洗脳されているからであって、支配層の用意した借り物の価値観に毒されているからである。

クルマに限らず、世の中には本当には必要ないものがこれ見よがしにあふれている。つまり、それらは二重の社会主義支配構造による商業主義が民衆に押し付けたものであり、煽りや洗脳で不要なものを買わされているのである。
何が必要で何が不要なものか、それは自身の価値観で決めるべきことだ。 それが出来ないとしたら、それは支配層に用意された借り物の価値観に毒されているということだ。

中にはクルマでないと買い物にも行けない様な地域があるのも確かだが、そんなところには町としての魅力は皆無であるから行かないほうがいい。そのような場所を選んだのであればそれは選んだ自分の責任だろう。
とはいっても、それは余程の所であり通常はクルマがなくても自転車などで買い物は事足りるのが現実であり、スピードと便利さ、楽さを捨てれば普通にそれでやっていけるのである。いまや雨や雪は事前に知ることが出来るし前もってその前に買い物を済ませてしまえばいい訳だから、それらはクルマを必要にする理由にはならない。寒さは着込んで凌げばいい。
「車が必要」というスリコミから逃れられない大きな原因は、相対的価値観である。つまり人の生活を見て気にして比べてしまうところに原因があるのであって、人を見て比べるように仕向けられているのである。人を見て人と比べてしまうところから狂いが生じるのであって、それが背伸びをさせられる原因なのである。

クルマに乗ると人格が変わるという話を良く聞くし、実際にクルマに乗っている輩どもの身勝手さには何度も出くわしている。それに、クルマにはいくつもの電子機器があって強烈な電磁波を乗るたびに浴びることになるしクルマに乗ると眠たくなるようになっているから、居眠り事故が起きるのも当たり前なのである。
これら観点からも、クルマからは離れるべきなのである。

現実に私はいまクルマどころかバイクももてないような状況に追い込まれているので、買い物は自転車であるし費用節約の観点からおおむね10km圏は自転車で行っているくらいだ。経済的にはバイクくらい持てなくもない状況ではあるが、事情があって持てていないのである。尤もそれをネタに移住圧力を強めるのは定石なのであるが。「持たせないのなら他のところへ行くぞ」と。バイクがなくても不便を感じないようなところに移住するのが理想でもあるし。
地方都市が活気を取り戻したいのであれば、まずクルマ社会という「前提」を捨てて公共交通中心の街づくりに舵を切るべきであり、公共交通利用促進条例などを制定してクルマを捨てさせる政策を取るべきなのである。

今ある陰謀論者が自動運転をネタにした記事で信者を煽っているが、自動運転をネタにした記事は民衆をクルマ社会にしがみつかせるための煽り記事であって、クルマ社会の問題点には一切触れていない。
あの陰謀論者にクルマ社会への批判が書けるはずもない。何故ならアレはヒモ付きであって、むしろクルマ社会推進者の手先だからである。
私は、むしろ自動運転のゴリ押しを契機にクルマ離れが起こって公共交通への回帰が起こってほしいと思っている。
それに、現実問題として個人差はあるものの年老いた人にまで自動車を運転させるのはきわめて危険なことでもある。何しろクルマは走る凶器なのだから。その危険性だけは額面どおりに受け取るべきだろう。むしろ年老いた人にまで自動車を運転させなくても済むような助け合いの社会に舵を切ることが必要なのである。
ましてクルマを趣味にするなどとんでもない話である。

ともかく、まずは利便性を捨ててクルマを捨てるという行動を民衆が取ることが先決である。クルマを捨てて公共交通に回帰するべきである。民衆が動かなければ支配層も動かないから、まずは一人ひとりの実践行動が必要なのである。
そのためには「便利さ」と「スピード」を捨てる必要があるが、むしろ現代のクルマ生活で体をなまらせて病気になるよりは余程健康にはいいと思うが、いかがであろうか。
何よりも捨てるべきは借り物の価値観であって、「車は絶対に必要だ」という思い込みであり、「あの店でなければ」という固定観念ではないだろうか。

本記事や「収奪装置」の主張に矛盾するような事件が以前にあったので、これについては別途記事を起こして説明しておく。

カテゴリー:真実追究(各論)
この記事のURL:http://peintre-celebre.com/weblog/blog-entry-208.html

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