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毎日の買い物が本当の投票だ

既に砦ブログでは触れている話だが、冒頭の言葉を知った動画をまず見てもらおう。

買ってはいけない/Meiso

企業社会主義が支配するこの国の現状に照らし合わせればまさに言っているとおりなわけで、選挙の投票など錯覚システムに過ぎず国会はお飾りに過ぎないこと、アベルフですらパペットに過ぎないことを併せて合点がいった訳である。

企業社会主義の支配下である今日においては企業こそが民衆にとって直接の支配者であり、解放を勝ち取るためにはそれを潰さなければならない。
そのためには支配層に餌を与えないことである。
現在において民衆は実に多くの不用品を買わされている。
これによって支配層は不当に民衆から搾取収奪を行い、その力を削いでいるというわけだ。

私は三度に亘って自動車利権について書いたが、その自動車も不用品であるしその先にある趣味やレジャーの類も不要不急品であり収奪の手段であり、そしてその目的地の多くが支配勢力の利益に繋がっているのである。

このツイートに書いた通り不倶戴天の敵の一つである創価学会は主に傘下企業によって企業社会主義の主力となっている。その創価は日蓮正宗の別働部隊・系列カルトであり、日蓮正宗の手先であるとも言える。その日蓮正宗はキリスト教勢力の手先であり、偽天皇の手先でもあるのだ。そしてこれらカルトが、日本の主たる企業に入り込んで企業をカルト化させているのである。

物を買うことの意味

物を買うことは、すなわちそれを売っている店やそれを作っている企業に一票を投じるのと同じことである。
また、この概念において買い物とはただ単に物を買うことのみを意味するものではなく、カネを出して対価を受ける全てのものが買い物であるといえるのだ。移動を買うことも有償でサービスを受けることも全てがこれに該当する。
企業社会主義の今日においては毎日の買い物が本当の投票であり、このことを厳格に考えて行動しなければならない。

たとえば主だったところでは電気を使うことも対価を払って電気を買っているのであり、れっきとした買い物であるというべきだろう。ガスや水道、交通サービスも同じであり、交通機関を使うことでさえ、カネを払って移動を買っているということなのである。

更に言うならば、企業に勤めることもその企業に一票を投じているのと同じだ。企業に勤めることによって客にカネを払わせている=一票を投じさせているのと同じだからだ。
そしてその出したカネがこれら企業社会主義の構成員どもを維持することになるし、カネを出すことはその企業を支持することと同じになる。そのカネが回りまわって広告代理店やカルト宗教さらには再エネ利権や原発マフィアを潤すことになるのである。
テレビはエアコン以上に多大な電力を消費する。すると原発利権や再エネ利権の一員である電力会社が潤う。そしてそのカネが広告費として回りまわってメディアや広告代理店を潤し、ますますテレビなどのメディアがのさばる原因を作っているのだ。
従って、我々はカネを出して何かを買うという行為に対して厳格に考えて行動し不要なものを買わされないようにする必要があるのだ。敵一味が私に対して使う、「必要を創造する」という手口をメディアや広告代理店は広く民衆に対して使っているということである。「創造された必要」を見抜きそれに騙されたり踊らされないようにしなければならない。

冒頭にも書いたとおり、政治も国会もただのお飾りであり本当の権力はそんなところには無い。そして選挙の投票も奴隷たちが自分で決めていると錯覚させるためのからくりに過ぎない。支配層の手先であるメディアが殊更にこれらのお飾りを煽りたて選挙に行けと叫ぶのは、本当の投票である消費行為に目を向けさせずに企業社会主義勢力を支持させ続けるためでもあるのだ。
与党も野党も皆用意されたものであり、全てグルである。そしてメディアの操作による左右プロレスが平然と罷り通っているが、そんなところに支配層のアキレス腱は無い。
この国を牛耳っているのは企業・官僚・偽天であり、これらは皆キリスト教勢力の手先でもある。企業カルトも宗教カルトも殆どがキリスト教勢力の手先である。
奴らにとって一番困るのは、今の経済システムが回らなくなることなのである。
今の経済システムは、企業社会主義勢力がグルになって民衆を騙し不要不急で無駄なものをたくさん買わせる事によって成り立っている。したがって、無駄を省かれては困るのが支配勢力どもなのである。
翻って今の社会を変えるには、今のシステムを一度止める必要があるのである。
少なくとも煽られるままにあれこれ買っているようでは変革はおぼつかないのである。

ニホンジンにはセラヴィが足りない


ニホンジンがいとも簡単に広告代理店や悪徳企業の悪宣伝に乗せられてしまう原因として、ニホンジンには自分に必要なものはここまで、不要なものは買わないという信念が著しく欠如していることがある。煽る側もそれを知ってやっているので、力関係が一方的になり企業社会主義が一方的に搾取し続ける構図になってしまっている。
あらぬ夢や幻想を見せてそれで縛り、強迫観念を植え付けて企業社会主義の奴隷に成り下がらせ、成功例だけを見せリスクを教えずに妄信させるのが奴らのやり方だ。
夢に駆られていると、物事の善悪を判断する力が薄れる。 人殺しのような事に手を出してまで教祖様の夢を見続けるカルト員、宗勢拡大の夢のために平気で他者を罵り続け終いには邪魔者を糖質呼ばわりする某宗教の講員、「いい学校、いい会社」という夢の為にしなくていい借金に手を出す人、趣味ごとのために自己中心的になり他人ともめるような事をする人(鉄ヲタのトラブルがいい例)も、そのいい例であり夢に入りすぎて善悪を失った姿であるといえる。
そもそも支配勢力とは民衆にあらぬ夢や幻想を見せ続けて都合の悪い現実を見せないようにしているのであるから端から疑ってかかるべきである。

では民衆は最初からそのようなセラヴィを持ち合わせていなかったのか?
答えはNOである。
あらぬ夢や幻想を、それも超大型のそれを見せられてしまったがために感覚が麻痺してしまい忘れ去らされてしまったのである。
セラヴィは主に経験値から生み出されるものである。
それを吹き飛ばし民衆を洗脳するための装置として開発されたものがある。
それがテレビである。
この世にそれが登場してから、まだ60年ほどしか経っていないが、しかしこの悪魔の装置はそれまでの経験値という貴重な積み重ねを意図も簡単に吹き飛ばしてしまったのだ。
敵が失わせるのは簡単だが、失われたセラヴィを取り戻すのは大変な時間と労力を要する。
セラヴィを構築するには、まず自分の身の丈を弁えることが必要である。
そして背伸びをしないこと、ありのままの自分を受け入れることである。
何よりも必要なことは、夢や幻想から脱却して現実に立ち返ることである。
その上で自身の経験を振り返っていく中で、私は私なりのセラヴィを作り上げてきたのである。
企業社会主義やカルト宗教は信念を持つことを極端に嫌う。
何故か?信念を持っていると自分らの思うとおりに操って搾取収奪することが出来ないからである。
そのことはかつてカルト宗門の悪徳法主日如があからさまに「信念は不要である」と説法でのたまっていたことによく現れている。奴らは、信者に自分の人生の手綱を自分で握らせたくないのである。それは傘下のカルト集団や企業カルトなども同じである。
逆説的に言えば、信念を持つことによって不当な搾取収奪を、ある程度は防ぐことが出来る。
だから私は言うのだ、信念を持てと。
メディアスレーブとは、信念を持たずにメディアの奴隷に成り下がっている人間のことを指す言葉である。

実践について

冒頭に書いたように政治も国会もお飾りであり、それを叩いても本当に実権を握っている連中は痛くも痒くもない。
たとえアベルフを引き摺り下ろしたとしても、次のパペットが出てくるだけだ。
奴らが恐れているのはシステムが止まることであり、民衆が余計なカネを出さなくなることである。
何故なら奴らは民衆から搾取した「余計なカネ」で成り立っているからであり、デモも運動も奴らを止めることは出来ない。
民衆が出した余計なカネが、奴等に権力を持たせているも同じなのである。
奴らを止めるには悪質企業の商品を買わないこと、悪質企業で商品を買わないことしかないのである。
だからこそ不要なものを買わない、不要な移動をしないことが肝要なのである。
不要な移動の先にあるものは不要なレジャーや不要な物品であることが殆どであり、不要なレジャーを切れば不要な移動も同時に切れるのである。
それらを買うことは企業社会主義に一票を投じることになるのであり、商業主義がどうして好かれたいかというのはカネしかないのである。一票を投じさせたいのである。そのために手先のメディアはこれでもかと夢や幻想を見せ続けて消費を煽るのである。無論それにはあらゆる真実から目を逸らさせたいというのも目的としてあるのであるが。
悪質企業に一票を投じさせられないにはどうしたらいいか?それは必要なものであれば買う店を選びどこの作った商品を買うか選ぶことである。そこで売国企業やカルト企業を排除するのだ。売国企業等の商品を買わない、売国企業等で商品を買わないということだ。
カルト企業や向こう側の企業、或いは食べて応援系企業、或いは買ってはいけない商品についての情報は、その選別をするために必要なものである。支配層はそれを隠蔽することで成り立っているというべきであり、そのような情報を民衆は自分で探して商品を選別し、不用品を排除しなければならないのだ。それをしようともせず言われることを鵜呑みにして何も考えずに消費生活に浸かるのはメディアスレーブの所業である。

趣味ごとに対する考え方

これは、当サイトの固定コンテンツに私が書いたものを抜粋したものである。
趣味ごとは人間としての文化的生活に必要なものではあるが、度を過ぎて深みに嵌ると人生を狂わせる大きな原因にもなりえるものであり、深入りしすぎないように適正な規制が必要である。
趣味レジャー雑誌や御用サイトの類は総じて思考停止、脳内お花畑に民衆を陥れるためのNWO支配勢力の陰謀であり、煽りとハタカセ、資産簒奪のためのツールであるからそのようなものに頼らないようにして、対象を限定するなどして深みに嵌ることを防がなければならない。
また、趣味ごとの対象の中には権力者、支配層の都合と思惑によって捏造されたものが必ず存在するからそのようなものを見抜き、そのようなものは対象としてはならない。
趣味ごとに使うツール或いはグッズはあまり売り買いしないようにして、ひとつのものを長く使い続けるようにするべきであり、支配側が煽るような流行やトレンドなどには踊らされないようにしなくてはならない。また、趣味ごとによる所有物は必要最低限に抑制し、浪費を防がなければならない。

民衆の命運は、我々の実践にかかっているのだ。

カテゴリー:真実追究(各論)
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