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千ラシ裏通信 2012.10.29

失われた26年を否定することは我が一家の一貫した方針であるが、失われた26年間の中でも最も痛恨だったのが、SGでの四年間とそのはるか昔の高校時代である。
後者については赤ブログでもタブーであり、語られることは無い。
語ったら最後、消されるだけである。
ここでは当然、前者についてである。
SGにおいては、自分の意思や感情とは正反対の対応を取らねばならない場面が殆どで、ある意味私には最も向いていないといえる。
元々人間関係を大の苦手とする私においても、特にやり辛かったのはいうまでも無い。
今にしてみれば、何であんな敵だらけのところで四年間も我慢し続けなければならなかったのかと思う。
本音を言えば、千ラシ裏女には二度と立ち直れないほどの暴言を吐き捨ててやりたかった。
それが出来なかったのは単に当時の立場によるものであって、特に千ラシ裏女に対する対応は私の本心とはかけ離れざるを得なかったのだ。
千ラシ裏女はその点を理解できないでいただけで、よもや私が好意を持っていたなどとは思っていないだろうな。
好意を持っていたのではなく、
仕方なくそのように振舞ってやったまで
である。
本心を言えば、二度と立ち直れないほどの暴言を吐き捨ててやりたかった。
ただ、相手はメンヘルなのでそれをやると傷害罪に問われかねなかったので出来なかった。それだけのことである。
某家でもニコンを使っていたらしいが、そんなことを言っていたら国産カメラメーカーが5社(ニコン、ソニー、シグマ、キヤノン、ペンタックス)しかない中で何も使えなくなってしまうしそれこそ愚の極致になってしまう。
しかしながら、キヤノン中でもKiss Digital初代は一眼スキャンダルがもたらした機材であり、それ故の機材トラブルも多かったのだ。
折角の大事なシーンをそれで汚す事になってしまったことも、SGで四年間も我慢をしなければならなかったことも、今の不遇も大方はK.K(今はK.Y)によってもたらされたことである。
K.K以前の石之坊講員の影響も小さくは無いが、ここでは省き稿を改める。
いずれにしても、横山無くして千ラシ裏女無しなのである。
大粛清(※用語集参照)から3年の月日が流れ、元関係者のほうも記憶が薄れ始めているかと存ずるところではあるが、横山にしても千ラシ裏女M.Nにしても私にとってはその存在自体が黒歴史であり、無かったことにしてしまいたいのである。
無かったことには出来なくとも過去を清算してやり直すことは出来る。

カテゴリー:千ラシ裏通信, 敵対者批判
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