投稿者「パントルセレブル」のアーカイブ

重大な真実について

前回の投稿から三ヶ月が空いてしまったが、この間も真実の追究はくまなく進めていた次第である。
宗門が創価等のカルト宗教とグルであった事などは既に明らかにしてきたところであるが、この三ヶ月でまたしても宗門にとって都合の悪い重大な真実が明らかになった。

では、早速今回判明したことについて明らかにしてゆく。

この犯罪の主導者は?

私に対するガスライティング犯罪、テクノロジー犯罪、運命操作を主導してきた者の正体が明らかになった。
この犯罪を主導しているのは、日蓮正宗宗門の宗務院であり、実行犯は鶴丸グループ各宗派に散らばっているものと見られる。
一昨年の秋、私は宗門に対する疑問、特に現証の面からの疑問により、宗教に対する見直しに踏み切った。
これに対し、敵は激しい攻撃をもってこれに応え、更に鉄道趣味を非合法化する決定をしたことに対して、宗教の見直しに対して都合のよい結論を押し付けてきた。これはすぐに破られることとなったが、このことは「宗門からの決別」が誰にとって都合の悪いものであるかを端的に示している。
私をターゲットとした理由、動機などはいまだ不明であるが、真実の追究を押し止めてそこから宗教、自宗への誘導を行っていること、更に真実を追及しようとした私に対する宗門側の仕打ち、両寺院の構成員どもによる迫害・言論圧殺事件などから、この犯罪の主導者を日蓮正宗宗門であると突き止めた。
なお、言論圧殺事件において問題になった内容を刷り込んで書かせたのも、宗門側の意向であり、この犯罪の本質を隠蔽していち構成員になすりつけ追及を免れようとしたものである。
つまり、真実の追及を押し止めたのも、煽りとハタカセの手口も、そのような趣味を押し付けたのも、離間工作も、医療利権への誘導も、全て宗門の意向で行われたということである。
要するに、私は宗門の意向で医療利権に差し出された訳であり、生贄にされたということである。

宗門(隷属時代)における数々の事件の本質

この犯罪においては、以下の要綱に基づいて行われていると思われる。

運命操作によって身近な縁を徹底的に分断し、離間工作等によって孤立化させる。また、新たな縁など作らせないように操作する。
癒しを与えないようにして、怒りやイライラの感情を煽り立て増幅させることによって狂わせてゆく。
些細なことを針小棒大に煽り立て、トラブルや紛争を頻発させて孤立させる。
交際事犯を頻発させ、女というものに対する不信感を植え付けることによって不幸の固定化を行う。

そして敵宗門は、そのことを以って宗門から逃さないようにし、かつ宗門への依存を強めさせようとしていたのである。

11年間で、重大な交際類似事犯が2件惹起しているが、いずれも寺ぐるみによる犯行であり、惹起者個人の勝手な行動ではない。
いずれの事件も、法華講組織によるモラルハラスメントの本質を隠蔽し、それをいち構成員になすりつけて誤魔化すためであり、また自ら広めた悪評を固定化するための謀略によるものであったのである。
2013年の事件は、当時班長を務めていた男が主導して惹き起こされたものであり、そのために断って自力で帰ろうとした私を無理にでも引き止めて、問題の女と一緒に車に乗せるという蛮行に及んでいるのである。
法悦院における悪評は、まさにこの男が勝手に広めたものであり、いわれのないものであった。奴らは、私をモラハラのターゲットとして講員どもの不満のはけ口、サンドバッグとさせることによって講役員や住職などに、強いては宗門に非難の矛先が向かないようにしていたのである。
最終的には、悪事がばれないうちに皆で言いくるめて精神科にぶち込み、抹殺しようとしていたのである。

しかし、私が敵の操作にも拘らずこれを破って脱退の道を選んだことで、奴らの思惑が狂いだした。
宗務院は、私が用意した脱退届けを受け取らず、何とか誤魔化して脱退を押しとどめようとした。
しかし、私が真実の追及をする姿勢を見せたことで、敵は手のひらを返したように数々の仕打ちを行い、両寺院の者による迫害事件に発展している。更に、昨年暮れには「自殺に見せかけて殺してやるぞ」という脅しを例の本山任務者の男から受けてもいる。
その後、正式な脱退の文書を送付し本尊を返したことによって、表向きは姿を現さなくなっているが、近隣の者をけしかけたり人の見ていないところで悪さをするなどして工作を繰り返している。
学会員の可能性もあるが、創価学会はこの事件の加担者ではあっても首謀者ではない。
いずれにしてもそれらの嫌がらせや運命操作は宗門の意向、宗門の命によって行われているのである。

1年ほど前、忌まわしき言論弾圧事件が惹起し、危うく言論という武器を奪われるところであった。
あの日、敵は両寺院の男子部3名を以って家に押しかけてきた。
これに呼応するように、テクノロジー犯罪部隊が怒りの感情を殊更に増幅させ、見境のない状態にされた上取るべきでない行動を取らされ、結果決定的な不利をこうむることとなった。
あの日、くだらない紙切れにさえ反応せずに無視していればあのような手口には引っかかることなど無かった。
敵にしてみれば、なんとしても引っ掛けなければならなかったということであり、そのためにテクノロジー犯罪部隊を頼って怒りの感情を増幅させ、自分たちに向かっていくような行動を取らせるマインドコントロールに及んだと考えるのが自然である。

この事件は、私が真の真実を突き止める前に敵が捩じ込んだ内容を問題にして言論を封じ、これをネタに「戻ったほうがいい」などと言いくるめ、無理にでも引き戻して「皆で言いくるめて精神科」のレールに乗せ、そのまま抹殺しようとした極めて陰湿な事件であった。

このことが物語るものは何か。
つまり、テクノロジー犯罪は宗門の意向で行われているということである。これが明るみに出れば、宗門は崩壊の危機に瀕する。だから、なんとしても隠し通さねばならないのだ。
実際問題、前寺院でこの犯罪のことや陰謀論などについて話すと皆一様に「考えすぎだ」などといわれる有様だったのである。なんとしても「考えすぎだ」ということにしなければ都合が悪い、そういうことなのである。

繰り返すが、創価学会は加担者ではあっても首謀者ではない。
それについては後述する。

その後、真実の追究が進んだことによって問題のブログの内容が確かに間違いであったことを突き止め、これは敵が真の真実を知られないようにするために仕組んだものであったこと、門外漢女がそのために自らが目立つことで注目を引き、批判の矢面に立つことで石之坊サイドに批判の矛先が向かないようにする役割を担っていたいち工作員に過ぎなかったこと、石の湯事件がハラスメントの隠蔽のために利用され、敵が仕組んだ間違った内容につながっていたこと、そして一連のハラスメントがすべて寺ぐるみであり、宗門によって仕組まれたものであったことを突き止めたのである。
もちろん、その間違った内容を捩じ込んだのはテクノロジー犯罪部隊であるから、この部隊は宗門側の意向に沿って動いているということであり、陰謀論系の気まぐれファイルが言うような「創価学会の独自犯罪」ではないということである。

敵は今なお、運命操作によって孤立化の固定化を行うことに余念がない。
ここまで孤立化の維持に腐心せねばならないのは、私が宗門にとって不都合な真実をたくさん知っているからであり、それが広まっては困るからである。
今宗門にとって最も拙い存在のひとりが、他ならぬ私であるということだ。
敵は、運命操作を連続的に行い揺さぶりをかけることによってこれを現証だ、罰だと脅して引き戻すつもりでいるようだが、そんなカラクリには騙されない。
何故ならそれらは全て敵の運命操作によるものであって、人為的に作られた謀略に過ぎないと見抜いているからである。

創価学会の本質とは?

この点においては、創価学会がその方針をコロコロ変えるところ、カメレオンのように権力にしがみつこうという姿勢から解るように、創価学会というものが、「己の意思」を持たない存在であることがわかると思う。
では、創価学会は誰の意志に基づいて動いているのか?
それは、日蓮正宗宗門である。
つまり、宗門から「キャスティングボートを手離すな」という絶対命令を受けており、そのためにこれまでの主張を曲げて政権に従うという行動になっているということである。
そもそも、創価学会ができたのは日蓮正宗の別働部隊としてであり、クリスチャンである牧口はそのために裏勢力によってリクルーティングされたということである。
創価学会の体質は、宗門のそれの丸写しである。そのため、学会が(宗門の下命によって)惹き起こしてきた事件の一部が明るみに出るようになると、出来レースによって離脱騒動を惹き起こさせ、叱り付ける振りだけして体裁を取り繕っていたのである。しかし、それにも限界があったのと、また別の目的があって、平成2年末からの出来レースによって形の上で「破門したこと」にして追及を逃れようとしたのが破門の本質である。
宗門と創価の両者には、両者を形の上で切り離した上で、下級構成員同士を争わせることによってそれぞれのトップに非難の矛先が向かないようにする狙いがあったのである。こんなことは口が裂けても言えないだろうし、ばれては両組織の存亡にかかわってしまう。だから両者は訳のわからない言い訳でこの「破門」を正当化し、その理由をでっち上げ、或いは信者に教えないなどしたのであろう。
この点についても、両者は終始苦しい言い逃れを以って何とか誤魔化しを図っているのが実情であり、特に宗門は、その何重にも被った化けの皮がはがれそうになって狼狽している、それで各地の工作員を使って言論弾圧にいそしんでいるというのが真相であろう。
埼玉の某寺院が、創価の最高幹部は学会葬、友人葬をしていないとゲロってしまった。
そこには、最高幹部の葬儀がどうしているという、肝心なことが書いていなかった。
つまり、それは絶対に書けない内容なのである。
具体的に言うと、最高幹部の葬儀は宗門の高僧がやっているということになるのではないか。だったら書けない訳だ。

宗門が信者を逃げさせないようにする手口

よく宗教などで、「功徳」だの「罰」という言葉を聞かされた人は多いことと思う。
結論から先に言うと、功徳も罰もそもそも存在しないものである。それらは、信者を逃さないように引き止めや脅しの文句としてでっち上げたものである。
功徳が存在しないことは、私の実体験で証明できる。
人工透析に貶められる直前、私は1日に何時間も祈らされていたが状況は一向によくならず、却って悪化するばかりだったのである。
祈るとかする前に、もっとするべきこと考えるべきことがたくさんあったはずであったが、それは敵の目暗ましによって出来ないように仕向けられていたのだ。
自ら数々のハラスメントや謀略行為を惹き起こしておきながらそれを宿業だ試練だと誤魔化し、しかもこれをネタに「そんなことを書いているから功徳が出ない」などと脅して言論を弾圧していた、これが宗門というものの本質であり正体だ。
しかも功徳などそもそも無いものである事を知りながら、その言い訳作りにしていたというのであればこれは言語道断の所業である。
「悪者は無い物で煽る」という事をツイッターでも度々書いてきたが、まさに「功徳」「罰」などという「無い物」で煽っていたのが宗門であり、これが宗門が悪者である何よりの証左になる。
凡そ神も悪魔も、己の心の外には存在しないものである。しかし、宗教はそれらを心の外にあるということにしてそれをでっち上げ拝ませることによって都合のよい結論に導き、目暗ましをして搾取するのだ。
宗教というものは支配勢力のためにある、支配勢力の手先であり、決して信者の人生を救済するものではないということを、現実を以って知るべきである。
あの忌まわしき言論弾圧の日、敵工作員はブログを消すことを「功徳だ」などと言った。
しかし、あれから功徳らしきことは何一つもないし敵も運命操作をやめるどころかこれをエスカレートさせるばかりの現状である。
このことこそが、功徳など存在しないものであり、功徳めいたものは人為的に起こされたまやかしでしかないということである。
いかなる宗教であっても、それに人を救済する力など持ち合わせたものは無い。
むしろ安心できるウソで人を騙し、自分の人生の手綱を自分では握らせないようにして必要なことをさせずに不幸に貶め、しかもそれをネタにゆすりや脅しで従わせて金を巻き上げる、それが宗教というものの本質なのである。
宗教は支配勢力の手先であり、「的ずらし」「目暗まし」によって真実の追究をさせないためにあるものなのである。

陰謀論者と法華講の関わりについて

創価学会のことを批判しているようでも、その親玉である宗門法華講を批判しないばかりかその悪行には一切触れず、創価学会「だけ」を強調している陰謀論者の輩が多くいる。
これらの者は、巷に多くいる陰謀論者と同じく支配勢力に飼われた輩であり、的ずらしや目暗ましに加担する暗黒の輩である。
中には宗門の宣伝文句とまったく同じに「日蓮正宗こそが最高の宗教である」などとのたまっている陰謀論者もいる有様である。
RKを見て創価を脱会したはいいが、そのまま向こう側の思惑通り法華講に流れている馬鹿者がツイッター上にもいる。また、前寺院にも陰謀論者の信奉者がいたことを考えるとRKと法華講の間には何らかの関わり、密約があると考えるのが普通であり、その点でもRKはヒモ付きであると言わなくてはならない。
創価学会は、日蓮正宗の別働部隊であり、自らが目立つことで批判の矢面に自らが立ち、これによって宗門の悪事を隠蔽する役どころを担っている(ちょうど石之坊における門外漢女が筆者に対して行った役割と同じである)。
また、先述のとおり創価学会自体は自らの意思を持たない存在であり、それを強調することは真の首謀者を隠すことに加担する悪魔の所業なのである。
なお、テクノロジー犯罪の意図的発覚の際に見せられた「気まぐれファイル」というサイトがあるが、このサイトも陰謀論系であり、具体的な手口に触れていないこと、「逃げられない」的なことをほざいていること、くだらない的な、ままごと的な記述に終始していること(これは、テクノロジー犯罪の実際とは大きく乖離したものだ)、日蓮正宗を全く批判していないことをその傍証とする。
つまり、脱退されては困るので正宗批判を含まないサイトに誘導したということであるのだ。

私はかかる宗門の首謀による運命操作を絶対に許さないし、その結果は絶対に受け入れないということ、これら運命操作に対しては手厳しい復讐を以って臨むということをここに宣言するものである。

読者の皆さんにおかれては一日も早く宗教の呪縛から解放されて、くだらない常識にはとらわれず身近な縁を大切にする生き方を取り戻してほしいと願うものである。

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これまでに判明した物事について

現在、回顧録の新規執筆に向けて真実の突き合わせを行っている。
これまでに探り出した真実を物差しとして、脱退後の現在までを含めた事実関係、また敵対勢力における常識等に照らし合わせた結果、これまでに書いていたいくつかのものが覆されることとなった。
訂正となるもの、白紙撤回となるもの、そして新たな判明となるものを含めて、ここに書き記すこととする。

その前に、まずこれらが見直される元となった、新たに判明したことを書き記す。

  • 悪者は必ず夢や幻想を見せる。
  • 凡そ悪者は無い物で煽ることを常套手段とする。
  • 宗門・創価・顕正・正信会の4宗教は、全てグルであり、それぞれ与えられた役割を演じているに過ぎないものである。当ウェブでは、このグループを「鶴丸グループ」と呼ぶことにする。
  • 「鶴丸グループ」においては、上の言うことは絶対であり、トップダウンありきである。したがって、いかなる事件であっても、信者個人の勝手な考えで惹き起こされるということは有り得ない。
  • 宗教の教義というものが敵の行うガスライティング行為を隠蔽し、ごまかすためにとても都合のよいものになっている。 つまり、宗教の教義とは最高の目暗ましになる。
  • あらゆる宗教は、人心を支配操作するための、支配勢力のためのツールであり、目暗ましをして真実の追究に向かわせないことを業としている。
  • 宗門の本山任務者は、単なる誘導役などではなく、本山での任にないときは宗門にとって都合の悪いあらゆるものを潰すための活動に当たる「精鋭部隊」である。
  • 宗門と創価は、ともに鶴丸グループの一員であるが、トップ同士が繋がっているとはいっても、実務レベルのことで逐一トップ同士が動いている余裕は無いと思われる。したがって、実務レベルの連携はトップ下、つまり宗門側宗務院と創価側本部での連携で行われていると思われる。
  • 宗門は天皇派であり、支配勢力の手先である。従って、支配勢力の命で医療利権と連携することは十分考え得る。宗門と創価と医療利権は、相互の利権利益のために手を結んでいるものと考えられる。

これらを元に、これまでの言説を検証した結果、以下の訂正・白紙撤回・新規判明したものについて書き記す。

  • これまで宗門人が惹き起こしてきたあらゆる事件は、直接的には宗門の指導者が選定した工作員によって、宗門の指導者の指示によって惹き起こされたものである。
  • 「宗門側にも多くの潜伏工作員が送り込まれて」という言説は、宗門も悪者であることを隠蔽するために捩じ込まれたデマである。したがって、当ウェブではこの言説を否定する。
  • これまで当ウェブで用いてきた「プロ講員」の概念も、上記の潜伏工作員云々から出たものであり、創価側が買収、というのは鶴丸グループの原則に照らして有り得ず、宗門側が養成した精鋭という意味で用いられるべきである。
  • 「石之坊、および法悦院におけるあらゆる謀略、紛争、ハラスメント等の類は、主として創価学会からの依頼によるプロ講員によって行われてきた」の言説は真実判明以前の誤謬に起因する間違いであり、依頼、ではなく指示をしていたのは創価学会ではなく宗門側の指導者であった。したがって、「石之坊、および法悦院におけるあらゆる謀略、紛争、ハラスメント等の類は、全て宗門側指導者の指示によって工作の任に当たった講員が惹き起こしてきたものであり、これに対して創価側の電磁波犯罪部隊等の工作員によるサポートが有ったものである」が正しい。
  • これまでの門外漢問題の追及において定説となっていた「門外漢女が石之坊サイドを籠絡」は、鶴丸グループにおける鉄則に照らして、これに反するものであり、ボトムアップになるので有り得ない事である。これは、「宗門もグルである」という真実を隠蔽するための目暗ましとして捩じ込まれたものであろう。したがって、今後当ウェブとしてもこの言説は否定する。
  • 「門外漢女は創価学会と裏で繋がっていた」という言説は、トップダウンの大原則に照らしてありえないものであり、論拠となっていた当人の言については、そのように思い込ませることを目的とした単なる「仄めかし」であり、これを基にしてでっち上げられ電磁波犯罪によって刷り込まれたのが前記言説であったというべきである。門外漢女は仄めかしによるミスリードを得意としていたが、この仄めかしを含めあらゆる仄めかしを行うように指示したのは宗門側指導者である。したがって、前記言説は白紙撤回するべき代物である。
  • 「門外漢女は朝鮮人である」という言説については、その可能性はあるものの確定情報ではなく、またその出自自体事件の本質にとって何ら重要ではない。したがって、あくまで可能性のレベルに留めるべきものであり、また事件の惹起との関連性はトップダウンの原則から云っても問題にするべきところに達してない。従って、これも煽りのための捩じ込みであると云うべきである。
  • 「『門外漢女』についてはまさしくこのプロ講員であり、在日ルートで創価学会から依頼を受けて暗躍したものである」の言説は、トップダウン原則に外れるものであり、有り得ない。門外漢女を刺客にしたのは他ならぬ寺院側であり、前記言説はこれに対する目暗ましのために捩じ込まれたと見るべきであり、これも白紙撤回するべき代物である。
  • SG現場の工作員との関連性については、既に否定されているものであるが、この現場に宗門側の人間が入り込む余地は無く、SG現場を支配していたのは創価側の人間である。連携については、もっと高いレベル、少なくとも実務レベルのトップ同士で行われているものであり、ヒラ会員・ヒラ講員や低級幹部のレベルでの連携は有り得ない。従って、その行動を連携させているのは実務レベルトップの指示によるものであり、ヒラ工作員同士の連携は無い。よって、石之坊での事件とSG現場での事件はあくまで分けて考えるべき性質のものである。
  • 「敵対勢力があくまで正宗にしがみつかせたいのは、攻撃の対象とするための口実を与えるため」という言説については、確かに攻撃の対象とするための口実になりはするが、それ自体が目的という小さいものではない。実際には宗教の教義での目暗ましと雁字搦めが目的であり、前記言説はそれをごまかすためにねじ込まれたものであると思われる。従って、「敵対勢力があくまで正宗にしがみつかせたいのは、宗教の教義での雁字搦めと目暗ましを続けて真実を知られないようにしたかったため」が正しい。
  • 2013年に惹起した交際類似事犯「柏原事件」は、惹起者個人の勝手な行動によるものではない。それは、信者という特殊性に鑑みて有り得ない。従って、本件も少なくとも支部組織ぐるみでセッティングされたものであり、意図的に引き合わせるよう手配がされていたというべきである。つまり、講幹部もグルであり、よって、本件も私に対する人物破壊工作を目的として寺院ぐるみで惹き起こされたものであるというべきである。
  • 「人工透析への転落も敵対勢力が画策したものであり、医療利権と結託して行われたものである。」の言説について、この場合の「敵対勢力」は、単に創価学会のみを指すべきではない。今や宗門も私にとっては敵対勢力であり、またこの画策については宗門側もグルになっていたものであると見るのが正しい。従って、「地元寺院」云々もこれら関係する勢力が談合して決めたものであり、それが宗門僧による一方的な押し付けに繋がっていると見るべきである。つまり、医療の面だけでなく、宗教面でも誘導先は前々から決まっていたものであると云うべきである。何としても元の寺院に引き戻したい理由も、離壇がこの談合による取り決めに反するものだからであると見るべきである。
  • 総合して、関わってきた全ての工作員はあくまでそれぞれの領域でのみ動いているものであり、その領域が重なったり、或いは垣根を越えてヒラのレベルで連携するなどということは有り得ない。何故なら、全てはトップダウンで行われているからである。
  • 「鶴丸グループ」内での宗教の移籍を指導者が指示する可能性は十分にあるが、その場合であっても移籍後は移籍先の指導者に従うのが絶対であり、旧所属宗派や所属してもいない宗派の者が指示を下すということは有り得ない。そのことからも、工作員個人で他の宗派と連携するということは絶対に、有り得ない。従って、宗門内で惹き起こされた事件は全て宗門側指導者の命で惹き起こされたものであり、この原則に外れる事件は無い。これに外れるような言説は、全て宗門や宗門僧を悪者だと思わせないために捩じ込まれた目くらましであるというべきである。

現時点で判明しているのはここまでである。

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身辺整理

現在、パントルセレブルは将来に向けた身辺整理を行っている。
2015年1月10日に忌まわしき宗門を脱退したが、その後ここに至るまでの道のりは極めて厳しいものだった。
2稿前の記事で書いたとおり、脱退時の対応に問題があったが、真実追究が未だ中途である中で脱退となったことと、当時はまだ確認するという習慣がついていなかったことにより、敵にいい様に誘導されてしまいその後のゴタゴタに繋がってしまったのだった。

今般の身辺整理においては、不要物を徹底して捨て去るとともに、脱退後も当家に残ったままになっていた宗門関連の物を始末し事実上の離壇届けとなる信徒籍削除の要求文書を本尊などとともに郵送し、この問題に一つの蹴りを付けることとなった。
これによって晴れて宗門とは関係の無い外部の人間ということになったので、今後は書きたい様に書かせてもらう。

離壇に対する妨害工作が1年もの間続いた訳であるが、これは敵対勢力S会だけの意向ではない。
私を宗教の教義でがんじがらめにして思考停止にさせることで、利益を得或いは利益を維持しようとする勢力が複数あるということである。
そのことは、離壇から1年を経た今なお、敵がBMI犯罪の発動によってあらぬ勘違いをさせ、以って自分から宗門のほうに戻るように仕向けようとしていることが示している。
BMI犯罪が用いられているのは、最早外部からの人手によるやり口(脅迫やまやかし)では捻じ曲げたり転向させることが出来ないからであり、敵側もそのように認識しているということである。

私が宗教の無意味さに気づき、そのことを民衆に向けて発信することはまさしく民衆の利益に適っている。
何故なら、宗教は安心できる嘘で騙して搾取し、以って真実からの的外し、目暗ましをして利益を得ているからである。
宗教の役割とは民衆の人心を操作し、支配勢力に矛先が向かないようにすることにあるのである。

私を薄汚い辺境の地に幽閉し、浮上させないようにすることで利益を得ている勢力は一つではない。
父逝去時の寺院サイドが取った、安心できる嘘で騙して以って必要な対応を取らせないようにする策動は、敵対勢力S会と、これに連なる医療利権の謀略であった。そして、まさしくこの寺院こそが共犯者であり、最初から安心できる嘘で騙して貶め、孤立させて搾取する腹づもりだったのである。つまり、門外漢女を私に対する刺客にしたのは他ならぬ寺院側だったということである。私がこの女を追及した際に寺院側が徹底してこの女を擁護する側に立って私を一方的に悪者にしたことも、これで説明がつく。

本来であれば、石之坊を脱退した時点で宗門からも決別し、その時点で離脱するのが最良の善後策であった。
父の病気を救うどころか医療利権側と結託して真実には目を向けさせず、安心できる嘘で騙して必要な対応を取らせなかった時点で、この宗教に力が無いどころかグルになって私を貶めているものであることは明らかだったはずである。
そもそも、私を宗教に誘導したこと自体が敵対勢力の離間工作・孤立化工作の一部だったのである。
それは、宗教にのめり込んだ人間は例外なく嫌われて叩き、いじめの対象になるからである。
既に手元には無いが、宗門側の出している洗脳の手引きにはこのことに対する尤もらしい言い訳が指南されている。
このように、宗教は当たり前のことさえも否定して自分たちが正しいと主張し、他のものを否定することで従わせようとしているのである。

宗教によってがんじがらめにされていた11年間は、歴史には残してはいけない11年間であった。
34歳から45歳という、まさしく人生最良の時期を宗教によって台無しにされたという事実は、いかなるまやかしによっても消えるものでは無い。
折角の縁も、宗教に雁字搦めにされていたことで取るべき対応を取れず、みすみす逃させられることになってしまった。
これが現実なのである。
ところが、ある法華講の役員(私に対して太鼓持ちの振りをして、裏で悪評を吹聴していた)はこれに対してこんな暴言を吐露している。
「結婚することが幸せなこととは限らない。」と。
これこそ、人口削減計画そのものではないのか。
この宗教では、男女が仲良くすること、交際することに著しい制限を加えている。
このことから言って、陰謀論者が支配勢力の狙いとして上げている「フリーセックス」は、支配勢力の狙いではなくまさにその真逆であるということになる。
何故なら、宗教そのものが支配勢力のためのものだからである。
支配勢力の実際の狙いは人口削減であり、そのために男女間の関係に著しい制限を加えて引き離そうとする試みは、今の時代に始まったことではなく、キリスト教では古くから謂われていることなのである。
つまり、この点でも宗門はキリスト教的価値観を受け入れていることになり、まさに日蓮ふうキリスト教そのものであるということであり、この点は創価も顕正も同じである。
キリスト教の祝日である1月1日を祝っていることもそうだし、そもそも新年を祝っていること自体がキリスト教に右ならえしていることになるのである。

宗教に誘導したことが敵対勢力S会の意向であり、しかも宗門側もグルであったことから、見直さなければならないものがある。
三本柱の化城である。
つまり、実際には柱は三本ではなく四本だったという意味でである。
実際には、宗教・鉄道・バイク・リクガの四要素によって構成され、その上に敵によって捏造された「自由の闘士気取り」と「宗教への隷属(強要)」が乗っかっていたわけである。
その意味で、柱が三本倒れても最後の極太の一本である「宗教」が残っていたというのが正解であって、三本の柱が倒れた時点で「自由の闘士気取り」も崩壊はしていたが、最後の一要素である「宗教への隷属」が残っていたので完全な崩壊とは言えなかったのである。
しかし、そのことに気づかれてしまうと全要素が崩壊して都合が悪くなるので、その最後の一本にはなかなか手を出させようとしなかったということである。つまり、宗教こそが敵による精神誘導のまさしく「大黒柱」であったということになる。
しかし、真実の追究によって他の柱と外壁が次々に倒され、その宗教についても「聖域なき見直し」の対象となって、決別という結論になり、化城はあっけなく崩壊したのである。

化城崩壊直前、私は鉄道趣味の非合法化をほぼ決断し、売れる物を始末しようとしていて、太鼓持ちの振りをしていた問題の役員に協力の話を持ちかけた。(先の暴言の役員)
しかし、この役員は応じなかった。
何故か?それは、どこかから情報が行っていて、協力するなという命令が出ていたからである。
つまり、「鉄道」を放り出すことは化城の崩壊につながるので、この売却を察知した敵対勢力から話が行って、「N(私のこと)が協力を要請してくるが、協力するな」という命令が上位の役員から下っていたのである。
つまり、問題の役員に直接命令を下したのは他ならぬ法華講だということである。
やはり、これらは利権によってつながっていたということである。
宗門とS会と医療利権は、派閥の違いこそあれまさしくその全てが支配勢力側であり、相互の利益になることであれば、手を結ぶことがあるということである。
そもそもが現在の宗門トップとS会の最高幹部同士が旧知の仲でもあり、完全な決別はあり得ないということである。
宗門・創価・顕正等は、実際には一体であり、支配勢力の命でそれぞれが与えられた役を演じているだけの話なのである。
なお、本山任務者の工作員の男が「敵」という一連の表現に激しく激昂したのは、一に自分たちが敵と看做されていることが気に入らないこと、二に実際にグルであり、そこを突かれたと思ったことで激しく狼狽したことによる。つまり、この「敵」という言葉に激昂したことで、宗門側もグルであることがバレてしまったのである。自覚が無ければ「敵」という言葉に反応する必要は無いからである。

今般の身辺整理は、その先にあるもの―この忌まわしき11年間を清算することにつながる重要な意義を持つものである。
この忌まわしき辺境の地に幽閉された11年間と、宗教によって雁字搦めにされた11年間は大体重なっているものでもあり、またこの地に誘導されたこと自体が誘導した宗教に最適化するために敵が意図した環境整備だった。
そのことから謂って、この薄汚い辺境の地から出来るだけ早く脱出して新天地を求めることこそがこの忌まわしき日々を清算する事になるのである。

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新宿事件の女を追放

先日Twitter上において、1992年に惹起した新宿事件当事者の女を追放にする方針であると発表した。

回顧録で触れている、この新宿事件当事者の女は、忌まわしき島流し時代の同級生の女である。
この女については、その時代時代においてその解釈が分かれ、「史上最悪級の悪女である」といわれ後に惹起した瀬戸事件の女と併せて「S.S」と呼ばれ悪の象徴にまで祭り上げられたこともあれば、実は悪気など無かったのではないかとされたこともあった。しかし、事件から24年もの年月が経過し、今後この女に関して何かが惹起する可能性も薄れていたことから、他の重大事犯が優先され本件については放置されていたのが実情であった。

しかしながら、回顧録再興のために文書を精査していて当時の実情に触れ、内容を精査したところこの当該の女も新宿事件の時点では既に敵勢力側についていて、その意向を受けて交際類似行為を惹き起こしたものではないかという事に気づいた次第である。
本土への復員後も交流があったのはごく僅かであった。
その中に、友だち役を演じていた男がいた。
卒業後にあってもこの友だち役の工作員の男がこのT.Sのことを忘れさせないように工作を行い、後に予定していた事件への環境整備を行っていたことが明らかになっている。
その間約3年、T.Sとの交流はなかった。
およそ3年もあれば、人の心や信条などはいとも簡単に変わってしまうものである。したがって、その間に敵対勢力が人的手段で根回しをしてその結果敵側についていたとしても何ら不思議はない。

当時の経過をたどれば、敵の関与の有無にかかわらず、当該案件は重大な交際類似行為であり、到底許される者ではないことが明らかである。
しかし、本件に対する見解は、先述の通り敵の意向によって二転三転させられたところである。
何故か?
敵にとって格好の煽りネタだからである。
つまり、本件でさえも敵は人心操作のために煽りネタとして使い、筆者の人生を殊更に狂わせていたのである。
今更そんな事に煽られるとは思っていないが、なにぶんBMI兵器を持っている敵のことである。
こうした問題にはしっかり蹴りを付けておく必要がある。
このため、この問題に付いて精査を行い、

  1. 先述の通り、本件は重大な交際類似行為であり、その気も無いのに気を引かせるという引っ掛け事案と看做せること
  2. この事件には友だち役だった男が事前の環境整備などで暗躍していることから、当該の女もグルでありこの時点で既に向こう側であったと看做せること
  3. その後の筆者の生活に極めて長期間重大な悪影響を与え、精神的にも暗い影を落とし続けたことから、その目的で敵対勢力が手を引き、当人も協力していたと看做せること

という結論に達した。
これによって、当家としてこのT.Sを他の惹起者同様永代追放処分に処する方針を固めたものである。

当家では、「島流し」の四年間を歴史には残してはいけない四年間であったと決しており、既に何年も前から当該の離島を含む地域への渡航を一家として禁じているところである。
この処分によって、漸くこの問題にしかるべき蹴りを付けることができるものであると自負している。
現在は処分の発効日について最終調整を行っているところであり、近々正式に発効し20余年越しの決着が図られることになる。

いかなる事情、理由によろうとも、人を誑惑し以ってその人生を狂わせるような行為に及んだ徒輩が許されることは、決して無いのである。

-完-

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事後処理を執行

パントルセレブルの館もブログ、過去ログに続いて一部ながら回顧録を再開し、更に関連資料を一部であるが公開するなど、漸く当初やりたかったことが形になってきた感がある。
回顧録は全て固定ページで、サイト内コンテンツとしての公開となっている。現在は宗門への誘導の前までの分について公開を再開しており、以後の分は当時の生活を取り巻く各要素のウェイトを適正に勘案しながら、新規に筆を起こすこととしているのでご期待いただきたい。

この間にも、敵対勢力の行ってきた悪辣な洗脳や誘導の様が次々に明らかになっている。これも、真実の追究が加速することによって敵の攻撃を構成していたさまざまな要素の傍証が揃ったことによるものであり、そういつまでも騙し続けることは出来ないのである。

まず、宗門脱退の際の対応が間違っていたことが判明した。これは、宗教というものそのものの本質が明らかになったことによる。宗教そのものの本質を明らかにされることは、敵にとって非常に都合が悪い、拙い事項だったので長い間押し止められていたものである。
およそ宗教というのは、出来るだけ長きに亘って(可能なら一生、あるいは子孫代々に亘るまで)騙し続け搾取を続けたいものである。
また、このような宗教、特に大宗教になればなるほど、本部や幹部などはその道のプロ、精鋭であることが多い。
そこからいえば、昨年の脱退時の対応にはいささか問題があった。

昨年1月、本山宗務院に足を運ばされた訳であるが、本尊の返還、除籍とも拒まれ、却って別の寺院を紹介される羽目になってしまった。
しかも、その後石之坊、法悦院の両寺院の信徒が徒党を組んで押しかけてくる事態にまで発展。
私がすんなり紹介先で再入信しなかったことで、宗務院が裏で両寺院に手を回した可能性が高い。
敵が私を本山に行かせた理由は、宗門に隷属させ続けることが敵の戦略上極めて重要であり、この脱退が敵にとって大変拙いものであったことにあり、そのためBMI犯罪によって操作を行い行動を狂わせたものである。
そもそも、信徒名簿自体末寺の管理による物であるので、本来は末寺に離壇届けを郵送し、本尊も郵送で返還するのが正しい。しかし、それをされてはあっさり脱退されてしまい、その目的(真実の追究に対する半永続的な目暗まし)が達成できなくなってしまうので、先に書いたような操作を行い本山に向かわせたのである。
およそ僧侶というのは宗教システムにおけるプロである。まして本山宗務院ともなれば、それ相応の精鋭が集っているに決まっているわけで、そのような相手に一人で立ち向かうのは愚かなことなのである。土俵からは降りるべきが、より上位の土俵に上がってゆく様なものであり、最初から勝ち目は無かったのである。その結果が、昨年6月に惹起した暴動事件であったということである。
この暴動事件の惹起者の中に、本山の任務者がいた。本山任務者とは、特別な訓練を受けた精鋭であり、当然役員も多い。特別な訓練を受けた精鋭であるから、相手の信念を曲げさせるための特別の訓練を受け相当の技量を持っているということであり、それに向かっていくのは愚かなことであり、ひたすら逃げるのが正解である。
結局昨年9月に脱退が確定したが、そのために成すべき行動は敵によって悉く押し止められた。何とか従前の状態に引き戻したいが為である。

また、本山で脱退に失敗した後、敵は私に余計なことをさせていた。不正追及の文書である。石之坊時代の経験を通じて、宗門は全体に事なかれ主義であり、不正を追及しても潰されることは明白だったはずであった。まして宗門には外部の声を軽視する傾向が強い。それを考えれば、それはするべきことではなかった。したがって、これも引き戻し策動を発生させ、「皆で言いくるめて精神科」という従前のレールに押し戻すための敵による操作であったというべきである。
更に、法華講が押しかけてきたときの対応に問題があった。つまり、押し掛けてきた相手に連絡を取ってしまったことが大きな間違いであった。そのまま無視するのが正解であった。相手が脅しと騙しのプロであるという認識が出来ていなかった上、敵のBMI犯罪によって怒りの感情を焚き付けられてしまったこと、向こうの入れてきた脅しの文書に乗せられてしまったことが大きな間違いであった。無視していれば、恐らく相手もそれ以上は手出しは出来なかったはずであった。しかし、それでは敵の策謀どおりにならないので感情を操作されてしまい、不安定な精神状態のまま対応をさせられてしまったわけである。いずれにしても、脅されて書いた物は無効である旨法曹に確認済みであるので、今後脅しに屈することはない。

なお、敵対勢力とこれら粗暴勢力の関係は不明であるが、工作員の文言に明らかに創価寄り、医療利権・精神医療礼賛が見て取れたので、何がしかの利益が約束されていた可能性、あるいは既に何がしかのリベートを受け取っていた可能性がゼロであるとはいえない。無論BMI犯罪による操作を受けている可能性も無きにしもあらずではあるが。

そもそもが、先述の通り信徒籍は末寺の管理なので末寺に申し出るのが正しい。だから、最初からこの対応が出来ていれば、先に記したような事態は起らなかったといえる。それをさせなかったのは、先述の通り脱退が敵にとって不都合だからであり、入信じたいが敵の操作であり敵の都合であったことを証明している。

宗門から脱退したのは、主にハラスメントの巣窟となっていたことや度重なる交際事犯などが問題視されていたこともあるが、見直しの理由が11年にも亘って活動を行っても良くなるどころか却って取り返しの付かないところまで追い詰められ、人生を破壊される結果になったという、現証の面からの疑問であり、「祈っても何も変わりはしなかった」そして「新しい寺院に行っても、どのみち同じになる」という結論から脱退に至ったものである。したがって、今後いかなる理由によっても復帰は有り得ず、一家としては今後あらゆる種類のあらゆる宗教とかかわることを禁止、宗教そのものを非合法化した次第である。

脱退する宗教によっても対応の仕方は多少違ってくるが、創価学会の場合は本部宛に脱退届けを文書で出すのが、日蓮正宗の場合は末寺宛に離壇届けを文書で出すのが正しい。間違っても脱退時にその宗教の人間のところに向かって行ってはいけないのである。

本年に入って漸く事後処理が具体化し、まず残っていた書籍等の類を処分した。返還するべき物、処分のできない物は旧所属寺院宛に送付を行い、併せて封書にて除籍を申し出る文書を送付した。ここに当家は晴れて日蓮正宗とは無関係となったものであり、長い暗黒の原因にして真実追究ストッパーであったものが漸く取り除かれたことになる。

改めて敵のBMI犯罪の恐ろしさを思い知るとともに、改めて創価学会等の敵対勢力に対する怒りを新たにするものである。

-完-

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