投稿者「パントルセレブル」のアーカイブ

今後のあり方について

現在、我が一家は新たな行政思想に基づいて失地回復への歩みを粛々と進めているところである
我が一家の根本思想は信心中心・反消費主義である
この反消費主義というものを一家の暮らしにしっかりと根付かせることがまずは肝要である
反消費主義というのは、簡単に言うと「出来るだけお金を使わない」ということであり、出来るだけ消費をしない(させられない)生活をすることである
1年前には考えも付かなかったことなのだが、大震災前くらいから新たな戦災復興・失地回復の歩みを進めていくさなか、この反消費主義の暮らしをしている人々がいることを知り、そして私自身がお金で何かをする、ということに限界を感じたこと、そして資本・消費主義の汚いやり口を知った(見抜いた)ことが、反消費主義への転換を決断するに至ったものである
我が一家に革命が必要なことは一昨年の夏に病に倒れて以降ずっと言われていたことなのであるが、最初からその終着点が見えていた訳ではなく、特に昨年秋口以降さまざまなことを知った中でその形が見えていったということである
この先、日本で格差社会が崩壊する可能性はほぼ無いと思われる上、現在の境遇から大きく上のほうに行くことはもう考えにくい状況である
しかも格差意識、差別意識というものが多くの民に染み付いているので、これを拭う事は容易でなく、法華講の者でも差別意識丸出しの醜態を露にするような有様(筆者所属寺院ですら散見する)、まして、得られるお金というものに限界がある以上、それらを乗り越えて何かをすることはまず不可能と考えるべきである
資本原理主義・消費主義・商業主義のやり口は云うまでも無く「煽り・脅し・プロパガンダ」である
しかして、その煽りに乗せられるがままに消費をしていたのでは、当然にいつか綻びが出て必ず破綻するのである
よって、失地回復の焦点というものもこれらの理由によって当然に違ってくるのである
解放聖戦の大きな代償を今も、この先しばらくも払い続けなければならない状況にもある
極力繰り上げて償還をする方針ではあるが、それでも相当期間償還が続く見込みである
これを出来るだけ早く解決することが失地回復事業の重要な焦点になっている
したがって、今後はなるべくお金を使わないこと、必要最小限のものを揃えたら後は最低限の衣食住以外なるべく消費をしないようにすることを一家の政策としている
自動二輪は暮らしをしてゆくために必要なので推進するがこれまでの計画を変更して進めてゆくほか、反消費主義の暮らしに適したものを選定するしたぶん新車は買わない
交際政策については既に書いているので詳細は割愛するが、簡単に言うと「格差交際、格差婚は絶対に無い」ということである
生まれた境涯は皆同じではないし、学歴や収入、地位などにも千差万別の違いがあるし、そこには乗り越えられない、否、乗り越えてはならない、取り払ってはならない壁があるのである
この「取り払ってはならない壁」のことは消費主義・商業主義にとって大変都合が悪いことなので誰も教えないのである
一般的に「格差婚」というのは所謂「逆玉」のことであり、金持ちでない女が金や地位のある男のところに嫁ぐ「玉の輿」のことを格差婚とは言わない
学歴や収入以外にも、職業や財産状況等多くの点で格差と差別が存在するのが現実である
今の日本人の考え方では、お金をかけて育てた娘を収入の低い人のところにはまず嫁がせない
その証拠にさまざまな差別用語まで存在するのである
法華講の者でもこういう考え方をする者が多いのが現実だ
反消費主義の生活に同意できる者だけが交際の継続を勝ち取れるのである

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反消費主義に至るまでの心境について

先般もお知らせしているように我が一家はこれまでの体制を改め新たな思想・体制の下再出発を果たしたところである
今日は、今日の心境に至るまでのことを書くこととする
日本という国は、戦後以降資本主義の考え方が入ってきて資本原理主義・商業主義・消費主義の世の中になっている
安保闘争が終わりイデオロギーが崩壊させられて以降今日に至るまで、この国の民の大半は「お金と世間体が第一」になってしまっているのが現実であり法華講員と雖もその多くがこの悪しき考え方から脱却できていないのが現実である(このことについては記事を改めてもっと詳しく書くこととする)
しかして、我が一家一族もその渦中にあったわけであり、小生もそのような環境で生まれて育ってきた訳である
小生が物心が付いた頃には周り中が皆「お金と世間体が第一」になっていたので、当然にその悪弊を受けて育ってきた訳でありそれは多くの人民も同じである
持たざる者が持てる者や富める者と同じに何でもしようとすれば当然に無理やひずみが出てやがては破綻することになるのであるが、その事は我々の敵である資本原理主義・商業主義・消費主義にとって大変都合が悪いので隠蔽され、学校でも教えていないのだ
然るに、この暮らしている環境の中で至るところに煽り・脅し・プロパガンダが満ち溢れている
そういったものを否応無しに受け入れさせられてきたのだ、あの日までは
20世紀の終わり頃から権力3兄弟は「格差社会」を煽り立てて、次第にそのような変化が浸透していたのだがそのことに誰もが気づかぬうちにそういう世の中になっていたのだ
そうした中、我が一族もそれらに対して疑いを持つことも抗うことも許されず、その濁流に流されるまま来たのだ
その中で、小生も(煽られた)五欲を求めさまようような暮らしに明け暮れていた
しかしながら、その殆どは叶わず次第に余裕がない暮らしに苛まれるようになっていった
そんな中報われず流した涙は数えればきりがないほどだ
しかしながら消費主義やブランド信仰、「お金と世間体第一主義」等の持つ毒は超が10個ぐらい付くほど強力なので、現在の信心に帰伏してもなかなかそこから抜け出せないのだ
そこに加えて多くの敵対者があり、ある者は人格破壊工作に明け暮れ、ある者は交際類似行為で小生の暮らしを破壊しようと企てたのだ
そしてそれらとの闘争に明け暮れることとなり、その中であらゆる物を失い、大きな病にも倒れた
そのような中、なかなか反消費主義の生活に転換できずにあの日まで来たのだ
そしてその日は訪れた…
現在の生活体制はその直前に枠組みが出来、その直後にスタートを切っている
そんな中、これまでの常識が悉く崩れ去る中でさまざまな思想に触れ、またさまざまなことを知るに至り、これまで小生が生きてきた中で是としてきたもの、目指してきたもの、果ては夢や憧れに至るまで総て間違っていたことに気づいたのだ
それは、この国で崇められている拝金主義や世間体主義、お金持ちになることが重要だという考え方が、世界の多くの国で既に古くさくなっていることと大きな関係がある
そして紆余曲折の果てにたどり着いたのが、現在の根本思想である反消費主義である
反消費主義とはなるべく消費をしない、否、消費をさせられないつつましい暮らしをすることである
あえて踏み込んで書くが、お金持ちが偉い、高いものを買えるものが偉い、という考え方は間違っている
「消費社会では、商品を購入する能力で、優劣が決まる」(こちらより引用)とされているが、それは人の道に外れた考え方である
お金とは、即ち両刃の刃なのである
消費社会が間違っているのだから、無理をしてまで富める者や持てる者に追いついたり、それらと同じことをしようとする必要はどこにも無い
どんなに願っても叶わないもの、どんなに追いかけても手が届かないものというのがこの世の中にはあるのだ

翻って、斯様な人格破壊工作や謀略の数々を尽くし今日まで謝罪も賠償もせず無かったことにしたものと思い込み自分のした事を棚に上げてのうのうとしている者がおるが、そのことに対する懺悔も、謝罪も賠償もしないでただで許されようはずは無いのである

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言論弾圧

案の定言論弾圧が次第に強められているようだ
正直な話、総務省から弾圧の指示が出ていることは知っていた
「表現の自由に配慮」と表向きには書いているが、字面だけだろう
敵には良心のかけらも無いことは火を見るよりも明らかだ
で、案の定ツイッターでいくつか特定の言葉がツイートできなくなっている
筆者はある程度そうなるであろう事は読んでいた
なぜなら国家からの制限の要請には応えるという趣旨の記事があったからである
しかし、この記事には悪質な隠蔽があった
中国を引き合いに出して、あたかも対岸での出来事のように装ったのである
私がソーシャルメディアを信用していないことは以前に書いたと思う
なぜなら米帝企業か、権力3兄弟の一員がやっているものだからである
メディアは「フクシマ」の現状をあまり伝えていない
そもそもメディアは権力3兄弟の一員であり企業社会主義や利権の犬なのだから
でも、それで危機を感じないというのはあまりにも鈍感すぎるというものだ
前にも書いたとおり、我々に出来ることは「余計なものを買わない」ことである
多くの無駄が企業社会主義、学閥、商業原理主義を支えているからである

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雑感 2012/3/6

現在、大震災当時に起きたことを検証するためにひたすら検索をしているところであるが
その中で、今までには無かった真相というものが明らかになるかもしれない局面を迎えている

それら記事の信憑性については現在最終的な検証を行っているところであるが、それ以前に他のサイトで見た写真とその撮影日時、さらに最近思い出した、父からその生前に聞いた話の内容からいって、まず間違いないであろう
ただ、恐らくそれを載せる前にしなければならないことがあるようだ
現在、この日誌は「諸国漫遊鉄道写真館」の中にあるのだがそのことが足かせになるであろう事が見えてきた
尤も、これは驚くべきことではなく、構想自体はあるしサイト名も決まっているが、まだデザインが出来ておらずそちらに少々お時間をいただくであろう
現在の「諸国漫遊鉄道写真館」になるときに、日誌を含めて4つのサイトがあった(常磐路HDと一家の業務系サイトは除く。)訳だが、現在のサイトデザインが出来たことで首尾よくひとつにまとめることが出来たという経緯がある
しかし、この日誌でこれだけのものを扱うことまでは想定には無かったのだ
いずれにしても、近日中に日誌を二分割して新たなサイトで時事は扱うようになるだろう
用意が出来次第当日誌、およびサイトトップでお知らせするのでもう少し待ってほしい

本記事は日蓮正宗からの脱退、及び鉄道趣味の破却以前に書かれており、現在の思想・体制と食い違いのある部分を含みます。

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印象操作と利権などについて

実を言うと前回の記事を書いてこれを見回していたときにあることに気が付いた
それは、「出会いがない」という枝葉の理由自体がメディアや利権の絡む者どもによって「人工的に」作られていたということである
「出会いがない」という状態が存在することによって商売が成り立っている連中がいたのだ
それは、ずばり「出会い系」である
何故それがわかったかというと、この出会い系を規制するためにあるはずの法律が役立たずの「ザル法」だったからである
つまり、このザル法は「出会い系から児童を守るため」ということになっていて出会い系そのものを規制する法律ではなかったのである
つまり、出会い系という胡散臭い商売が権力によって守られていることになるのだ
ついでに書いておくが、この「出会い系」は出会えるようにはなっていない
なぜなら、出会えてしまえば後は用無しになってしまうので、出会えると偽ってサクラを使い引き付けておけば「メール送受信料」の名目でいくらでも金を巻き上げることが出来るというビジネスモデルになっているのだ
これについて、Peachyが印象操作記事を書いたので言及しておく
この記事では、「女性も被害にあっている」事になっている
しかし、もし本当にそうであればあっという間に叩かれて出会い系などとうの昔に無くなっていたであろう
印象操作といえば、某週刊誌が印象操作記事と思しき記事を掲載していた
それは、「正常範囲内の結果を『がんの疑いあり』と書き換えていた」という趣旨のものである
チェルノブイリの前例から言って、その逆はあってもこの記事のとおりということはありえない
この記事が出てきた理由は、がんが増えていることを知られたくないのでわざわざ逆のことを書いて追及されないようにするためであろう
つまり、これも権力3兄弟のなせる業ということなのである
次に、権力3兄弟のもうひとつの手口について言及しておく
少し前に、ある人が「精神病院通院暦がある」者によって迫害を受けているという記事を目にした
この「精神病院通院暦がある」者は地元で盗撮や誘拐未遂事件を起こしているとの事だったが警察が一切捜査しないと聞いてピンときたのだ
それは、「精神病院通院暦がある」者を一方的に弱者として扱うことの旨みがあることに他ならない
そして、この犯人を野放しにしているのが実は権力なのではないかということに気づいたのである
普通に考えれば、「精神病院通院暦がある」からといって何をしても許されるはずは無いのである
ここでは「精神病院通院暦がある」男を仮に「男A」としておく
つまり、「何をしても捕まらない」存在を作ることによって権力構造に都合の悪い者を迫害することを容易にしているということではないのか
そういえば、筆者が対峙する敵対者も「頭が弱い」などと言って筆者を安心させようとしていたのだった
本当に頭が弱ければこの敵対者が惹き起こしたような狡猾な事件も起こせないし、男Aが本当に頭がおかしければきわめてレベルの高いハッキング犯罪も出来るわけが無いのである
これは私の見立てであるが、権力側はこの男Aに「頭が弱い証拠」という箔をつける為にわざわざ卑劣な犯罪を惹起させてその上で「精神病院通院暦がある」状態に仕立て上げたのではないかということである
男Aは権力によって飼われて「精神病院通院暦がある」ことになっているが、横山の場合には自作自演だったという違いがあるのみである
いずれにしても、「心神耗弱」や「心神喪失」の犯人を罪に問わない制度は改めるべきであろう
精神病だから人を殺しても許される、などという莫迦な話は普通だったらありえないし恐らくこの国をはじめとする一握りの国だけである
筋の通っていることを書いている人に対してメディアの焼き直しに過ぎぬ知識で攻撃的なコメントや罵詈雑言を浴びせている徒輩だとか、あるいは個人ブログのふりしてステマ(ステルスマーケティング)だらけだったり書いていることがメディアの垂れ流しているものと何も変わらないようなブログとかあるがこれらも実は権力によって雇われているのではないかということに書きながら気が付いた
だから、時には企業が権力に雇われて事件を起こしたりすることが外国でもあるのだ
その最もたる例が、かの有名なロッキード事件である
ましてメディア側そのものである芸能人とかのブログが信用なんざ出来る訳が無いのである
またの機会に書くが、芸能人そのものがメディアの手先であり権力3兄弟の手先である
時折まっとうなことを書いたと思ったら粛清されてしまうのはそのためである
改めて深く掘り下げるつもりだが、日本は既に欧州諸国などから強いバッシングを浴びており、不買運動も起こされている
その原因となっているのは権力3兄弟であり、利権構造であり、企業社会主義・学閥主義・商業原理主義なのである
メディアが流しているものを考えもせずに盲信していればそれが見えないのは当然の話である
欧州のようなメディア同士がチェックしあうシステムになっておらずメディアが皆横並びの馴れ合い・もたれ合いになっている以上、メディアの書くことには何か裏があるということを前提にしなければならないのである

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