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バイク戦争犯罪の概略について

バイク戦争犯罪の濫觴は、既に回顧録ブログでも書き出している通り1990年代後半にまで遡る
すなわち、十数年にも及んで行われた大掛かりな人格破壊策動であるということになる
そうだ、全てはつながっているのであって偶然はどこにもないのである
ここでは、その全体像を暴き出し決して風化させないことを目的に書き記す

濫觴

筆者は、元々は乗用車に乗っていた人間であったが、回顧録ブログにもある通り敵(広宣部。以下同じ)の策謀によって1997年にその乗用車が失われたことによってバイク戦争犯罪が始まった
翌年頃から、他人の口を使った「クルマは金食い虫だ」の吹聴が幾度となく繰り返され、バイク戦争犯罪に巻き込むための洗脳策動が始まったのである
99年に原付を使う仕事に誘導されたことで、完全にその軌道に乗せられることになったものであると云える
同年11月に、とりあえずの足として「1号形原付車」が導入されたが、この時点ではそこから先に進むことは無かった

テコ入れ

その後も敵は雑誌やネットなどを駆使して刷り込みや煽動を続けたが、にも拘らず計画の進まないことに相当の苛立ちを募らせていたに違いない
そこで敵が仕掛けたのが、「自動二輪計画」の刷り込みとその圧殺の演出であった
この時点ですでに2005年、計画の開始から8年が経過していたことになる
自動二輪計画もその圧殺も、いずれもが敵によって演出されたものであり典型的なマッチポンプ犯罪である
その後も先記の1号形原付車が稼働していたが、これを電磁波による攻撃によって計画的に故障させることで「バイク」をくすぶらせることにしたのだ
1号形原付車は、その後数年に亘って廃車にもならずに留置されていた
この留置も、敵の意向通りのものでありまさしく「バイク」をくすぶらせるためのものであると云える
当該は購入からほどなく絶版となっており、本来であればこの時点で廃車解体してしまうのが措置としては適当であったと云えるが、それでは煽れなくなるので押し止められたものであった

解放聖戦の最中で

その後09年になって「解放聖戦」が勃発し、その後戦線が石之坊にまで拡大することとなった
聖戦の真っただ中、09年の10月になってやおら、とあるブログ管理者が二輪免許をおっぱじめたのである
よりによって解放聖戦の最中にやりだすというのはただ事ではない
恐らくは敵幹部の指示による操作があったものと推察され、これは劣等感を煽るためにわざわざ後を追わせて読ませたものであると断定している
なお、当該者も創価員を切ったことによって因縁付けされ、以ってマインドコントロールの被害に遭ったものであると見られている
更に、その直後の12月には敵による「自動二輪圧殺」の計画的発覚が実行に移されたことで煽動は決定的となったのである

聖戦終結の後

結局解放聖戦は筆者が石之坊から不当に粛清されるという形で終結を見ている
その後、6月になると突然1号形原付車の復活が浮上し、同月下旬に竣工している
この復活は、現在からみれば全く不適当なものであったと云え、まさしく先述の劣等感を煽るための煽動によってもたらされたといえる
この頃になるとすべてが「バイク」を中心に回るようにされてしまっており、結果本末顛倒の有様が長期に亘って続くことになる
適度な迫害を加え続けることで「自由の闘士気取り」に仕立て上げ、それによってますます振り回し続けるという悪質な愉快犯罪であるということになる

行き倒れ策動の中で

その後、2012年4月には結局自動二輪免許取得に動くことになり翌月に免許の交付を受けている
同年6月には現実的対応として100ccの二輪車を導入し運用を開始している
これは、あくまで当時の情勢による現実的対応であり他者の意向は関係ない
しかし、現実的対応止まりでは不満な敵の策謀によって事故に巻き込まれ、左手首を骨折する14級障害相当の大怪我を負っている
この時巻き込まれたのが代車であったというのもミソである
というより代車に乗っているところを狙った、そういうことになる
結局この事故の解決には1年近い時間がかかっているが、これは不自然に長いものだ
最低でも6か月はかかるのであるが、それ以上は明らかに時間稼ぎであると云える
何のためか?云うまでもなく、洗脳のための時間稼ぎであるということである
それは、賠償金の使途を不当に変えさせるためのものであったということである
そして計画はスリカエられ、仏壇購入計画を押し流す形で全てが「バイク」によって吸い込まれたのである
スリカエの概要は既に131番記事に詳述しているので省略する
更に、この策動に乗じて更なる策動が発動された
それが、行き倒れ策動であった
この行き倒れ策動は、この「バイクの極大化」に乗じてマインドコントロールを行い、薬を外させ血圧を測ることも押し止めてその裏で電磁波犯罪によって血圧を不当に吊り上げて腎機能の破壊を謀ったものである
そして行先は行き倒れか人工透析かという極めて悪質なものであった
そのために、バイク以外のものはすべて押し止められ、計画は実行に移された―
こうして2013年9月21日に筆者は人工透析の身に貶められたのである

悪質なハタカセ

行き倒れ策動の最中、8月にはシステムをキヤノンに戻し活動を再開しているがこの時にはすでに病状が進行しており、敵は既に「先が無い」状態になったことを確認していたはずである
そして行き倒れ策動の発覚直前、敵は「意図的に」洗脳を抜くことにしたのである
こうしてバイクの売却と自家用車の導入が行われることになったが、敵は「自家用車を導入してもすぐに用途を失い金食い虫になる」ことを当初から計算していたのである
その目論見とは何か。それは、「手元にいささかの資金も持たせないこと」にあるのであった
自家用車を持っていれば、それだけで月に2万近いカネがかかるのである
結局6か月で手放したが、それでも10万以上の無駄が出ていたのである
購入額と売却額の差額15万を足せば、実に25万もの無駄が出ていたのである
この他にも、クルマ絡みの不当なハタカセがあり損害額は40万近くにも上る

バイク戦争犯罪の概略は以上であるが、全ては敵側団体の主導で行われておりその組織的攻撃によるものであるということを決して風化させてはならないのである

当家では、先日敵の策謀によって押し流されたものの一つを「倍返し」で奪還を果たすことが出来た
いずれにしても残る3つの奪還闘争に全て倍返しで勝利し、以って正義を顕揚することが肝要であると存ずるものである

(おわり)

[warning]この記事は、史実認定の修正により2016.1.30 9:41に修正されています。[/warning]

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バイク戦争による損害の考察

撮影機材をキヤノンに戻したのは8月末のことだった
昨年の機材混乱は大いなる損害をもたらしたが、売った機材が高かった分40Dの再奪還のみならずカメラ2台という恵まれた再スタートを切ることもできた
その後、EF-S 17-85mmも入手することができたうえスピードライト(鉄道ではほぼ使わない)も手に入れた
しかし、その前にもっと大きな好機があったはずであった
敵は、行き倒れ策動の際に高額な新車バイクに手を出させることでそれを封じたのであった
恐らく敵幹部の指示は次のようなものであったであろう

「カネを徹底的にはたかせろ。ただし、撮影機材は一切買わせるな。すべてバイクで使わせろ。

この指示を裏付けるものとしては、マインドコントロールによって中身が入れ替わってしまったバイクの導入計画にあった
当初PCX150を中心に検討されていたものがなぜ400㏄にすげ変わったのか
PCX150:総額約35万円
実際に入ったバイク:総額77万円
後付けのボックスやアクセサリーは抜きの乗り出し(前者は凡その見積もり)価格での比較になる
それでも、両者には倍以上の開きがありその差額があればとっくに高級機材を取り戻していたに違いなかろう
それ以外にもPCX150であれば必要なかったであろう駐輪場所整備(約3万6千円)や同じく必要なかったであろう大型スロープ(配送料込みで約3万3千円)など係るスリカエでおよそ50万円も大きくなっていることは特筆に値する
敵がいかにしてカネをはたかせつつ機材を買わせないように、そしてキヤノンに戻させないように腐心していたかが窺える
もしこのすり替えが無ければどうだったか?
仮にニコンのままだったとしても、80-400VRやD600、70-200/4 VRなどが検討されており、それらを入れていれば後のシステム戻しの際にもそれが資産価値を発揮してかなりの高額機材が買えたであろうことは想像に難くない
しかし、筆者がニコンのVRに視覚的違和感を感じていたことを敵も読み取っていたのであろう
もしそれらが入ったとしてもVRの違和感を克服できずにキヤノンに戻す―
という敵にとって最悪のシナリオが見えていたのであろうか
これが敵が誘導して導入に至ったはずのニコンシステムの機材さえも買わせなかった理由ではなかろうか
しかし所詮はマインドコントロールによる化城の産物に過ぎないのはバイクもニコンも一緒である、いずれは崩壊する定めにあったのだ
実際に化城の崩壊を前に筆者はキヤノンEOSシステムに戻す決断を行い実行に移している
なお、3万6千円かけて整備した駐輪場所は今は自転車置き場になっている有様で大型スロープはただの死蔵品に成り下がっている
また、5月18日を最後に9月の入院まで鉄活動が無かったことについて併せて考察する
この間、機材はずっと保有しており鉄活動できない理由は無かった
にも拘らず鉄活動ができなかったのは何故か?
敵幹部が、何らかの理由(無論、身勝手な理由である)で筆者に鉄活動をさせたくなかったためであると断定して間違いない
そのために、化城生成の頃の鉄活動の極大化を謀ったのと同じ理屈でバイクの極大化を実行に移しこれを利して鉄活動をも封じたのである
化城生成の時には極大化させておいて、都合が悪くなったり策謀の役に立たなくなると今度はそれを封じるというのは常人の神経ではないしあまりにも手前勝手・ご都合主義に過ぎる
いずれにしても計画はすり替えられ、巨額の損失を筆者は蒙った
そして敵は、走ることだけに熱中するよう煽動を行い、勢いが付いたところで行き倒れ策動を加速させ薬を外させたのであった
しかし、既出の通り9月初旬には異常に気付いて薬を再開し、診察を無理にでも入れさせたことで一命を取り留めたのであった
行き倒れ策動は、マインドコントロールを重ねに重ねて何重ものトリックによって初めて成り立つ特殊な暴力である
大切なものを外させるというのは、ターゲットに勢いがついてないとできないマインドコントロールでもある
今回は計画のスリカエについて主に論じたが、バイク自体が敵によって捩じ込まれ自家用車の復活を妨げたものである
また、そのバイクを捩じ込むために「クルマは金食い虫」という吹聴を繰り返し繰り返し行い「バイク」に引きずり込んだという事実がある
PCX150の新車は35万円であるが、政策転換後に購入した乗用車はそれより安く、バイクの売却益で賄って余りあるほどであった
このことに怒り狂った敵は、殊更にカネをはたかせた上でマインドコントロールを行い、入院妨害を行ったのである
しかし、その病状が特定疾病に該当したため限度額認定の恩恵を受け、翌月には医療費がかからなくなったのである
いずれにしても、リードの後は乗用車にするのが正しい道であったのは間違いない
実際に、そのことが頭になかったかというとそうでもないし乗用車も検討した
だが、それでは困る敵によってそれを圧殺するためのマインドコントロールが行われ、上記のごとき経緯となったのである
筆者は元々は乗用車に乗っていた人間であり、敵はそれが面白くなかったであろうことは想像に難くない
敵は約15年余りに亘って乗用車の復活を妨げるための策謀を重ねてきたものであり、筆者が乗用車に乗ることはその15年の策謀が水の泡となることを意味したからである
しかし、その乗用車ですら導入決定時にはすでに「先が無い」ことを敵が確認していたものと思われ、所詮はマインドコントロールによる産物に過ぎなかったことが判っている
バイク戦争犯罪に関わった徒輩に関してはこれを徹底的に裁かねばなるまい

[warning]この記事は、史実認定の修正により2014.7.3 21:17に修正を行っています。
また、この記事は真実追究を押しとどめられていた頃に書かれたものであり、現在の思想・見解・方針と異なる記述が一部に含まれています。[/warning]

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